2010年1月13日水曜日

続きです

 告白の続き。簡単に。

 きっと前述の日記の、複雑な思いが自分を守るのですよ。もうそういう内なるツッコミをする自分なんて大事にすんなよと思う。現在表出している自分に最大限に期待しろよと思うのですよ。のぶたと似てて、希望ないんだけど、「胸をはって歩けよ 前をみて歩けよ 希望のひかりなんてなくったっていいじゃないか」とチャットモンチーも歌っています。

ちなみに、歌詞の続きは、「シャングリラ しあわせだって叫んでくれよ 時には僕の胸で泣いてくれよ」です。良い。

のぶたを読んでこういう感じのことを考えた次第。

話題はかわり、

今冬、二度目の手袋行方不明。明日から手袋なくことを得意分野の欄に書きます。

2010年1月11日月曜日

今日は暇なので「告白」

 「告白」をテーマに映像撮りたいと考えてました。以下備忘録のようなもの。

 のぶたをプロデュースを読んで、在日コリアンの告白について考えました。

 のぶたをプロデュースの物語の構造は簡単に図式化できます。

 人前で本心を出さずに、周囲にいいかっこしてる「自分」。
→その「自分」につっこみを入れて、かっこつけてる「自分」をなじる一人称の語り。
→上記のようなパターンをうながすための様々なプロット。

 こういう物語なら山場は、なんとなく想像できますよね。本当の自分の告白です。一人称の語りの部分の心情を現実に吐露し、他者からの承認をへてハッピーエンドか、非承認で悲劇で終わるのか、ここまでの舞台設定を用意すれば、そのどちらかが山場のわかりよい形というものでしょう。でもこの小説そんなわかりよい形で終わりません。この小説はクライマックスで上記の図式そのものが変化します。
 人前で本心を出さずに、いいかっこしてる「自分」を、「自分」をなじっていたはずの一人称の語りが承認するのです。いや、承認どころではなく、「自分」を一人称の語りよりも遥か価値のあるものだと認識するのです。僕は読んでてびっくりしました。もう本心(語り)なんてどうでもいいのか、本心を他人に認めてもらわなくていいのか。ちょっとクサい言い方ですが、希望がないけど、そこに希望がある小説だと思いました。

 で、どう在日コリアンの告白にむすびつけたいかっていうと、日本名で過ごしているコリアンの多くは、(恐らく)通名で過ごしていることに内なる突っ込みを与えます。それは、「いやー俺本当はコリアンなんだよー」というものです。例えば女のことキスをするときも、友人とサッカーを見る時も、このうちなるツッコミが聞こえてきます。でそれを解消すべく、意を決し「いや、俺さー」と告白するのが、まぁよくあるパターンです。ここでよくあるパターンと簡単に書きますが、それなりに切実な場合も多いのです。
 ただ、僕はなんかこの告白に複雑な思いを抱えていました・・・と今日はここまで。

まだ書きたい事は続く。

あ、新成人の皆様、おめでとう。

2010年1月10日日曜日

死亡説

 昨日徳日死亡説が一部友人たちの間で流れました。で、友人達は家族にも連絡してくれて、結構本格的な徳日死亡説になりました。僕は友人達が家族に連絡をしてくれているとき、焼き肉を食べていました。まだツタヤで借りた奥田民夫もyesも返してません。見たかったアニメ空中ブランコもまだ見ていません。

 死ぬ訳にはいきません。

 原因は予定を勘違いしていたことと、出かけに携帯を忘れたことです。この2つが重なると現代では死亡説が流れます。

 にしても心配をおかけした友人達家族の皆様すいません!!!!!!!