2010年9月28日火曜日

実家近くの公園



かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ 監督 スパイクジョーンズ BDで鑑賞

初ブルーレイ。精巧なフィルムの偽物って感じがした。いわゆるフィルムっぽさまで再現されているからびっくり。DVDとは完全に別ものです。これからは何で鑑賞したのかって結構重要かもですね。

簡単なあらすじ

 かいじゅうたちのいるところは、周りの環境に対して理不尽な怒りを覚える子供マックス君が主人公。マックス君が周りの環境のあまりの嫌さかげんに絶望し、空想?の旅に出て、怪獣たちと出会うところが物語の前半部分。そこで怪獣達に慕われ、怪獣達の王様になり(正確にはなりすまし)その場を理想郷にしようと奮闘するが、マックス君が自分たちを導いてくれる王様ではないと怪獣達に見破られ、目指していた理想郷はついに実現しなかった。しかし怪獣達のやりとりや挫折がマックス少年を少し大人にし、少年は現実へと戻って行く。
 
感想 

 久々に感覚で作られた映画を見たなという感じ。手ぶれの映像、撮影のアイデア。何もかもが、「あ、こういうふうにとりたい」といった瞬発力、初期衝動で満ちあふれている。僕はこういった撮影上の工夫を、主人公の心情と同期させていると感じた。つまり突発的なアイデアを採用しているのは感受性の強い少年の心情に寄り添うためである。そのことを論理的根拠にして映像のアイデアを炸裂させている。
 で、そういった演出は非常にマックス君の心情を的確に捉えて、僕はわくわくするような高揚感を覚えた。ああ、小さい頃に見たディズニー映画のようだと思いながら見ていた。マックス君演じる子役も天然なのか天才なのか、良い加減の演技を披露している。
 
 じゃあ良い映画なのか。でもこれは少し残念な映画なんです。いくらなんでも脚本がずさんすぎるからです!マックス君の成長過程を語らなさすぎる。語らないのがいいんじゃん、そこがディズニーと違うところじゃんという反論もわかる。でもね、この映画って本当に明確な
成長物語なんですよ。そして珍しいのは挫折やディスコミュニケーションが成長の発露になっているところ。実感としてはわかるけど、ハリウッド映画としては珍しいケースなわけです。なら、スパイクさんがなぜ、このレアケースを成長物語として採用したのか、その目的をはっきり示すべきではなかったか。そこがないから、なんともぼんやりとした印象の映画になるのです。この映画は目的語のない文のようなものじゃないか。そこには才能の無邪気さだけがあって、観客を刺すような鋭利なものが少なかった。

 冒頭のシーンを筆頭に目的のはっきりした部分のほうがあきらかに出来がいい。冒頭は本当に良かった。この世界は嫌なんだ!て気持ちが伝わってきましたよ。怪獣がつくった理想郷のミニチュアを主人公に見せるシーンも良かった。初めて大切なものを披露するときのふれあいの瑞々しさがよく出てた。

 けなしてるんだか褒めてるんだかですね。

2010年9月18日土曜日

もの憂う犬 笑う犬


dwp

 イギリス人の学者や、アイルランド人のアーティストと一緒にプロジェクトをしています。こんな風に書くと、彼らがとても特別な人のように思えますが、全然そんなことありません。言葉にするととてもチープですが、当たり前の感覚をもったとても素直な人達です。
 昨日の夜、プロジェクトメンバーの京都での仮住まいに招かれて、御飯を作ってもらいました。素敵なホスピタリティーで、帰り際は玄関先まで見送ってくれました。あと特筆すべき事項として、プロジェクトのメンバーの一人、イギリス人、22歳アレックス君がしゃれならんくらい顔がかっこいいです。ただ、ここでは書けないそのかっこよさを生かしきれてないエピソードを聞いて、こいつはええやつだと思いました。

 国際人って変な言葉です。そういう特別な権威意識が距離を作り、言葉を抑圧し、話せなくさせるのに。こんなこと留学した人や、言語が通じない外国人とよく接する人なら当たり前の感覚なのでしょう。僕は最近そういう機会をへて、初めて思いました。英語もっと話せるようになりたいです。

 そのプロジェクトには精華大学のテキスタイルの学生も参加していて、彼女達のものづくりの姿勢には、はっとさせられます。インスタントな感情を拡大して伝える術ばかりが発達したおかげで、(自分にとって)どうでもええことに感情をフォーカスをしてしまうことがあるけど、彼女達のものづくりに対する純朴な情熱のようなものに触れて、ピントが合ってきたような気がします。作業している教室に入ったときの凛とした空気が、気持ち良かったです。



dialogues with place

久々の日記でした。