2010年7月24日土曜日

映画の感想

最近見た映画のざくっとした感想。

この自由な世界で ケンローチ 

 ケンローチの映画が面白いのは、基本白黒で語らない、語ろうとしても周囲の環境がそれを許してくれない、結果ビターズエンドになる。この映画では人材派遣会社を起こし、不法滞在をする移民に、不当な仕事を斡旋するシングルマザーが主人公。この主人公の生き方は決して倫理的じゃないが、パワフルで、光の当て方したいで悪にも正義にもなる。ドラマとして考えるならこの主人公の話を美談にする作家が多いのではないか。ケンローチの映画ではそんな「ずる」は許さない。何もそのことの事実を淡々と描くのではない。「ずる」を許さない、という編集をしているのだ。意思ですね。そこに感動する。にしても「自由」嫌い。「自由」はこの言葉を使う側の「楽したい」願望が透けて見える。「楽したい」だけなのに、良いことのように聞こえてしまう危険性のある言葉ですね。

机のなかみ 吉田恵輔

 この映画も感動した。三角関係の話を面白おかしく語ってるんやけど、キャラクターに愛情があって、映画に愛情があって、あべこうじが素敵で、よかった。もう話法とか破綻してるんやけど、泣いてる女の子の独白をどアップで延々撮ってるシーンに感動した。自主映画っぽくて稚拙やけど、心が豊になります。吉田恵輔最新作「さんかく」見に行こうかな。この人は三角関係にとてもこだわりのある人なんかな。夏目漱石みたいやな。でも三角関係というのはサスペンスの緊張感が描きやすいから、映像メディアでは重宝するかも。

麦の穂をゆらす風 ケンローチ

 第一次戦争後のアイルランド独立闘争の話。これも白、黒の間でもがく民の話。貧すれば、奪われれば、自分の権利とか奪われた内容とか、貧した自分の思いとかに厳密になるんやな。なるんやなじゃなくて、なってしまうのだ。アイルランドの悲しい歴史の話だけではない。ケンローチの映画くらいしか、このことを物語で見せてくれる映画作家はいない気がする。「ないもの」や「失ってしまったもの」に自覚的になってしまったあげく、もがいて、悲しい結末を迎える。ただ、じゃあ自覚的にならなければいいんだ!って簡単な教訓が得られる話ではないと思う。
 比較的長い映画やけど、アップがほとんどない。カット割り以前の段階のシナリオやプロットが強いとこういうことが出来る気がする。

次は 純喫茶磯部 吉田恵輔 と ワイルドアットハート デビッドリンチ 

見ます。

2010年7月9日金曜日

幻ノ進化論

http://www.kac.or.jp/bi/364

羽が生えていないのに、僕はなっとくしていない。

 メディアリテラシーって言葉がすごく流行ったけど、リテラシーってつまり、花の美しさを「読み解く」ってことじゃないですか。それを突き詰めると、「花が美しい」って認識よりも、「花の美しさを読み解く」って認識の方を先立せることになるのでは。そんなもんになってしまったら、「花の美しさ」を読み取ったことにならいでしょう。いや、本人はそう思ってるんやけど、「花が美しい」という深度が変わってくる。花の美しさを媒介にして、花の美しさを読み取った自分を強く感じてしまうから、「花の美しさ」には届かない。

 自分が摩耗する。「自分」を「自分」が認識しているだけやもん。何かに向かって放出されていない、ループしているだけ。でも本当に花を美しいと思っている人と、上記のような経路で花を美しいと思っている人も、言葉としては「花が美しい」だけやから、他人からみたら明確な差がでんわけです。でも絶対本人の充足感は違う。これは自分でも当てはまるし、どちらかというとそういう回路に巻き込まれやすい性格だと自覚しています。

だからせめて、時々羽をはやして、僕は僕自身の幻の進化を想像します。自分の認識の先にあるものに到達するために必要なのは、「脳」ではなく「羽」であると想像します。

2010年7月5日月曜日

列問題

えー、むかつきます。

叡山電車を精華大駅からぼくは待っていました。少し早くきたので、椅子に座ってエッセイを読んでました。で、気づくと電車がやってきてました。プラットフォームを見ると10人くらいの列。いつのまに列が。しゃあない、最後尾にならぶかってんで、最後尾に並ぶ。

電車が到着して、吸い込まれる待ち人。

まぁこれやったら普通やわ。でも、ボクはとあることに気づきました。

あれ、なんか椅子に座ってた組で、列に並んでるの俺だけやん!みんな列に並ばず、なしくずしてきに入ってる!

いやいや、ちょっと待とうや。僕ら列に並ばんと、楽してたんやから、最後尾につかなあかんやん。今回は全員座れたからええけど、これで列に並んでて座れなかった人がいたら、ずるした人、その人に刺されるで。

この件でたちが悪いのは、じゃあそれに気づいた勇気ある人が、今なしくずし的に入った人、全員最後尾に並べ!並ばな蹴る、ベルトでお尻をひっぱたく、草履のうらで頬をどつく!と言っても、それを本当に実行したら、順番を精査しなあかんし、ベルトをとったり、靴脱いだりで、今度は電車が遅れる!!つまり行いをただした人間が急いでる人にそいつが一番恨まれるというはめになる。だから誰も何も咎められない。

だから、みんな機嫌良く電車にのるために、ベンチに座って列に入らなかった待ち人は、最後尾にならぶべきだったのです。しかもスムーズに電車に入れるように2列で。

しかしこの列問題、じゃあベンチ座ってた側の倫理観だけの問題かというとそうでもない。最初から列を2列に出来ない列組にも問題があったのだ。どういうことかというと…。なんか長なるのでもうやめます。