今日も今日とて疲れたぜ音頭を作曲し、それを歌唱し、酒を飲み、シャワーを浴び、youtube(アニメのモンスター)を見て、寝る。
もう少し先ですがおやすみなさい。
今日も今日とて(京都で)、疲れたぜー♪
あっ、よい、よい(良い、宵)♪
2009年6月29日月曜日
映画
久々に書いたものでも載せてみようか。1分で読めます。
シーン1
悲しそうな目で歩くさとる。
シーン2
としの部屋。
とし なぁこいよ、こいよ。作ったんだよ、映画。
さとる ほんとかよ
とし すげえんだよ、ぶっとぶぜ。
さとる へー。
とし 青春映画なんだ。
さとる へー。
とし 愛が下敷きになってんだ
さとる お前はよくはずかしげもなく。
とし ばかやろう、恥ずかしいのが映画じゃないが。
さとる はぁ。
さとるはいぶかしげ
とし お前さ、見たらなんか変わるぜ。
さとる 本気なのか。
とし あたりまえだ
さとる 世界はそれどころじゃないだろうが、お前!わかってんだろ!
そこで、女強盗が入ってきてさとるととしを殺す。
そして女強盗は自殺する。
とし あっ、か、かろうじて生きてる
さとる お、俺も
強盗 あ、ちなみに私も
とし 映画見よっか。
さとる まぁいいよ
強盗 マクドナルド食べながらみたい。
とし、さとる 賛成!
強盗 ああでもみんな腹やぶるてるからコーラとか全部流れるかな。
シーン3
マクドの袋
三人の死体
コーラが床にこぼれている。
カメラは画面のほうに移動
すると画面の中で主人公が扉を閉めて、不敵な笑みを浮かべてエンドマーク
終わり。
シーン1
悲しそうな目で歩くさとる。
シーン2
としの部屋。
とし なぁこいよ、こいよ。作ったんだよ、映画。
さとる ほんとかよ
とし すげえんだよ、ぶっとぶぜ。
さとる へー。
とし 青春映画なんだ。
さとる へー。
とし 愛が下敷きになってんだ
さとる お前はよくはずかしげもなく。
とし ばかやろう、恥ずかしいのが映画じゃないが。
さとる はぁ。
さとるはいぶかしげ
とし お前さ、見たらなんか変わるぜ。
さとる 本気なのか。
とし あたりまえだ
さとる 世界はそれどころじゃないだろうが、お前!わかってんだろ!
そこで、女強盗が入ってきてさとるととしを殺す。
そして女強盗は自殺する。
とし あっ、か、かろうじて生きてる
さとる お、俺も
強盗 あ、ちなみに私も
とし 映画見よっか。
さとる まぁいいよ
強盗 マクドナルド食べながらみたい。
とし、さとる 賛成!
強盗 ああでもみんな腹やぶるてるからコーラとか全部流れるかな。
シーン3
マクドの袋
三人の死体
コーラが床にこぼれている。
カメラは画面のほうに移動
すると画面の中で主人公が扉を閉めて、不敵な笑みを浮かべてエンドマーク
終わり。
2009年6月25日木曜日
2009年6月24日水曜日
a woman
警備棟にちょいと用があり覗くと、警備棟に違和感が。警備のおじさんに囲まれ、一人若い女性が談笑している。なかなか見慣れない光景。知り合いの警備員さんに、あの人誰なんですかと聞くと、〜の〜さんで、たまにここにコーヒー飲みにくるとのこと。その女性と話ている警備のおじさんたちがまた嬉しそうなんだ。良い。凄く良い。こういう感じは凄くいい。疲れてたけど少し元気になった。
あ、最近メディアリテラシーって言葉が嫌いです。作り手はリテラシーなんて出来ないもんを目指さんとあかんでしょうが!受けてはリテラシーなんかせずに感じないといけないでしょうが!でしょうが!
あ、最近メディアリテラシーって言葉が嫌いです。作り手はリテラシーなんて出来ないもんを目指さんとあかんでしょうが!受けてはリテラシーなんかせずに感じないといけないでしょうが!でしょうが!
2009年6月20日土曜日
2009年6月19日金曜日
2009年6月14日日曜日
2009年6月13日土曜日
ダークナイト
昨日はようやくダークナイト。2回目。
結局のところジョーカーも、ルールに縛られている。とはいえ、ジョーカーはそのことを良く知ってる感じがするから悪役として魅力的だ。
バットマンはいくら洒落たアメリカンジョークをかましても、強靭な肉体を手にしても、ハイテク兵器を駆使しても、女とのクールなやりとりをしても、自分のことをそんなによくわかっていない感じがして幼い。バットマンが「幼い」ということに物語上の最大の問題があると思う。逆にジョーカーは自分というものを知り尽くしている。自分が一番したいことが出来ない(自分の一番したいことをしている人間はあれほど聡明になれないと思う)。なら何をするか。それが全部決まっている。悲しいくらい自分を知っていて、悲しいくらいに大人なのだ。
そうだ、ジョーカーに悪に染められる『ダブルフェイス』。あいつが一番しょうもない。情報操作に一番ひっかかるのは、トラウマティックなことを何一つ経験していない無邪気な正義。そんなやつはジョーカーの思うつぼだ。
映画の最後、バットマンの決断はモラトリアムからの脱却を意味するか、それともさらなるモラトリアムの混迷への突入か。個人的にはモラトリアムを有しバットマンのさらなる進化をみたい。次が楽しみ。
映像的にはすごいカットがあるよ。病院が破壊するのをワンカットで撮ったとこ。あのときのジョーカーのバストショットはかっこいい。
もっともっともっと映画みたいし、映画の話がしたい。
結局のところジョーカーも、ルールに縛られている。とはいえ、ジョーカーはそのことを良く知ってる感じがするから悪役として魅力的だ。
バットマンはいくら洒落たアメリカンジョークをかましても、強靭な肉体を手にしても、ハイテク兵器を駆使しても、女とのクールなやりとりをしても、自分のことをそんなによくわかっていない感じがして幼い。バットマンが「幼い」ということに物語上の最大の問題があると思う。逆にジョーカーは自分というものを知り尽くしている。自分が一番したいことが出来ない(自分の一番したいことをしている人間はあれほど聡明になれないと思う)。なら何をするか。それが全部決まっている。悲しいくらい自分を知っていて、悲しいくらいに大人なのだ。
そうだ、ジョーカーに悪に染められる『ダブルフェイス』。あいつが一番しょうもない。情報操作に一番ひっかかるのは、トラウマティックなことを何一つ経験していない無邪気な正義。そんなやつはジョーカーの思うつぼだ。
映画の最後、バットマンの決断はモラトリアムからの脱却を意味するか、それともさらなるモラトリアムの混迷への突入か。個人的にはモラトリアムを有しバットマンのさらなる進化をみたい。次が楽しみ。
映像的にはすごいカットがあるよ。病院が破壊するのをワンカットで撮ったとこ。あのときのジョーカーのバストショットはかっこいい。
もっともっともっと映画みたいし、映画の話がしたい。
2009年6月10日水曜日
いろいろな今日
バイト
勝敗でいうと負けです。疲れました。
大学
久々に徳日家の映像がちょっとした日の目を見た。久しぶりだ。そしてこのタイミング。実は第二弾作ってるところでした。前作よりもなんてことのない生活、映画にもならないただの生活。興味をそそられる一員になるかわからんけど、「とかげ」と「かまきり」と「馬」が出演しますよ。
飲み屋。
おもろい。以前かわいいなぁと思ってる店員がこの店にいる、と別の店員に言うとなんとその店員を呼んでくれた。楽しい夜になった。その店員さんはすっぴんだったらしいが、すっぴんでも素敵でしたぜ。
くるり。
新譜を聞く。勇気がわく。ありがとう、敬意を込めて。
勝敗でいうと負けです。疲れました。
大学
久々に徳日家の映像がちょっとした日の目を見た。久しぶりだ。そしてこのタイミング。実は第二弾作ってるところでした。前作よりもなんてことのない生活、映画にもならないただの生活。興味をそそられる一員になるかわからんけど、「とかげ」と「かまきり」と「馬」が出演しますよ。
飲み屋。
おもろい。以前かわいいなぁと思ってる店員がこの店にいる、と別の店員に言うとなんとその店員を呼んでくれた。楽しい夜になった。その店員さんはすっぴんだったらしいが、すっぴんでも素敵でしたぜ。
くるり。
新譜を聞く。勇気がわく。ありがとう、敬意を込めて。
2009年6月8日月曜日
2009年6月7日日曜日
2009年6月6日土曜日
2009年6月4日木曜日
恥ずかしく痛い青年のよろしくどっかーん
どうも小林秀雄好きの万年活火山こと、とくひです。よろしくどっかーん。
まだしっかり読んでないので、あれですが、デカルトについて書かれた小林秀雄の文章を読んでいます。難しいので3ページくらい読むと、だいたい「ああもうわからん」となります。デカルトの『方法叙説』という本は、学術書はラテン語で書くのが当たり前の風潮の中、フランス語で書かれていたそうです。なぜか。引用します。
「古人の書物ばかり有り難がっている人々より、誰にも備わっている凡そ単純な感覚だけを働かせている人々の方が、私を正しく判断するだろうと思うからだ」
デカルトの『方法序説』は、若いうちに学問を学んだデカルトが、その知識をかなぐり捨て、「わからないことがわかった」という無知の知の確信を得るため、9年間もの間、従軍や各国の旅行などをして暮らします。
ここでまた引用
「冬の終わらぬうちに再び旅に出た。以来まる九年間、あちこち世間を歩き回る他には、何一つしなかった。世間で演じられる劇で、俳優たらんよりもむしろ観客たらんとつとめながら」
ここでのストイックなまでのまなざしが実存主義を生みます。哲学を全然勉強していない僕がいうのもなんですが(というか小林秀雄が言ってることなんですが)、デルトが肯定しようとしたのは、人々が本来もっている心の動き方なのだと思います。それはは、とてもとても俗なことです。日常的に生きていると感じる固有の感覚。その素朴な感覚と世界とのギャップ。そしてそこから生まれるまた素朴な感覚。デカルトはその一つ一つを何かにごまかされることなく、もっと見つめてみてはどうかと言ってるのではないでしょうか。その感覚をいさぎよく受け入れてみてはどうかと言ってるのではないでしょうか。
興味のある人は 小林秀雄の「考えるヒント2」を参照して下さい。余談ですが、この本は加瀬良も好きらしいよ。
個人的に素朴な感覚が誤魔化されることが、非常に多いな最近と思います。まぁそれは大人になったからかもなと思っていたけど、大人になるからこそ、素朴な感覚を誤魔化されないように勤めなければならないのではないかと最近は思ったりもしてます。どうでしょうか。違いますか。違うかもしれませんが、まぁただの恥ずかしい、痛い青年の主張だと思ってください。
ただ、青年が痛い主張をしない文化なんておもしろくもなんともないじゃないか。
ユーチューブでスペイン語字幕付きワンピース見ます。アラバスタは全部見た。
まだしっかり読んでないので、あれですが、デカルトについて書かれた小林秀雄の文章を読んでいます。難しいので3ページくらい読むと、だいたい「ああもうわからん」となります。デカルトの『方法叙説』という本は、学術書はラテン語で書くのが当たり前の風潮の中、フランス語で書かれていたそうです。なぜか。引用します。
「古人の書物ばかり有り難がっている人々より、誰にも備わっている凡そ単純な感覚だけを働かせている人々の方が、私を正しく判断するだろうと思うからだ」
デカルトの『方法序説』は、若いうちに学問を学んだデカルトが、その知識をかなぐり捨て、「わからないことがわかった」という無知の知の確信を得るため、9年間もの間、従軍や各国の旅行などをして暮らします。
ここでまた引用
「冬の終わらぬうちに再び旅に出た。以来まる九年間、あちこち世間を歩き回る他には、何一つしなかった。世間で演じられる劇で、俳優たらんよりもむしろ観客たらんとつとめながら」
ここでのストイックなまでのまなざしが実存主義を生みます。哲学を全然勉強していない僕がいうのもなんですが(というか小林秀雄が言ってることなんですが)、デルトが肯定しようとしたのは、人々が本来もっている心の動き方なのだと思います。それはは、とてもとても俗なことです。日常的に生きていると感じる固有の感覚。その素朴な感覚と世界とのギャップ。そしてそこから生まれるまた素朴な感覚。デカルトはその一つ一つを何かにごまかされることなく、もっと見つめてみてはどうかと言ってるのではないでしょうか。その感覚をいさぎよく受け入れてみてはどうかと言ってるのではないでしょうか。
興味のある人は 小林秀雄の「考えるヒント2」を参照して下さい。余談ですが、この本は加瀬良も好きらしいよ。
個人的に素朴な感覚が誤魔化されることが、非常に多いな最近と思います。まぁそれは大人になったからかもなと思っていたけど、大人になるからこそ、素朴な感覚を誤魔化されないように勤めなければならないのではないかと最近は思ったりもしてます。どうでしょうか。違いますか。違うかもしれませんが、まぁただの恥ずかしい、痛い青年の主張だと思ってください。
ただ、青年が痛い主張をしない文化なんておもしろくもなんともないじゃないか。
ユーチューブでスペイン語字幕付きワンピース見ます。アラバスタは全部見た。
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