2010年10月31日日曜日

柴崎友香3

 狂ったように、こつこつ積み重ねる行動の描写は、その瞬間を記録するためなんだと思う。もちろん本当はその瞬間を記録出来ているわけではない。ペンを走らせた時点で、行動よりも遥か彼方の時間の中で思考しているのだから。「また会う日まで」の主人公はカメラが好きだ。しかし、瞬間を記録できると思われがちなカメラでさえ、瞬間の記録をすることはできない。

「あ、今だ、と思ったその瞬間っているのはほんとうにその一瞬しかなくて、カメラを用意している間にもうどこかへ行ってしまう。だから、似たような、それとも全く別の瞬間をまってカメラを構え続けるしかない」

 この引用文のような想いは、作者の描写に対する信念そのものではないだろうか。あ、今だ、と思った瞬間が逃げていくからこそ、捕まえようとする。この瞬間を捕まえようとする行為。それはすなわち、リアリズムだ。ある世界の情報を自分の作為により編集することを至上命題に掲げた創作ではない。世界の情報を捕まえた瞬間を記述しようと苦心している、リアリズムの文学だ。優れたドキュメンタリーは、人の生活の息づかいのようなものが聞こえてくるが、それとて、作者の編集が施された、生活のレプリカである。でも自分が世界の情報を捕まえた瞬間を正確に記述しようとしているから、生活のレプリカがリアリズムになる。

 柴崎友香作品にもそのような感じがする。

 

2010年10月27日水曜日

柴崎友香2

 人間は素直がいい。素直な状態というのは、素直なのだからa「ああこいつはAさんをどつきたいと思っているなー」とかb「ああなるほどAちゃんは、めちゃめちゃ今エロい気持ちなんやなー」とかが一目でわかる状態である。そうすると他人はその状態に対し、何らかのリアクションが出来る。

 しかし現実は、aの場合「くそ、でも相手は俺の会社の社長で、年収3兆円で、ロシアの秘密警察が防衛にあたっているので、殴ると俺が死ぬから、低姿勢をつらぬこう」となりがちやし、bの場合も「でも相手は、乙女な超草食系で、いつも天体観測のことにしか興味の無い理系男子だわ、エロい気持ちは押さえて、銀河鉄道の夜の朗読をしよう」ということになる。

 で、例えば、小説の場合、行動もかけて心理もかけるから、抑制した行動を記述しつつ、でも本音はこう思ったなんてことが容易に出来るが、現実では表出した行動の裏にかくれた行為を読むとくのはなかなか難しい。だから心理、行動両方かけるけど、文学者は文でその両方を繋げようとする、なんか妙竹林な暗喩を使いながら。「豚のような気持ちで、犬のような忠誠心を表出させたのでR」とか書くんだと思う。とにかく作者は心理と行動を丁度の文で現したい。

 でも、柴崎友香は、自分の行動しか書かない。暗喩も使わん。もう行動を徹頭徹尾信じきっている。信じるとかいうニュアンスも違うな。行動がそこにあるといった感じ。でもそれは素直な行動じゃないかもしれんし、素直な行動かもしれん。あんまりわからんのだけど、行動がただそこにあり、その行動を信頼しきっているから、登場人物達が気持ちいい。素直な行動も素直を覆い隠している行動も、そうしたいと思っている切なる状態のときに、暗喩などを考えている暇などない。その決意は鋭利で、ある種の人達がもっている「功名に人をカタログ化しようとする」行為に対して、徹底的に否を唱えているようなアナーキズムがある。この人の小説は、ほわーんとしたなひよった感じではない。わかりやすい文章だけど、「豚のような気持ちで、犬のような忠誠心を表出させたのでR」なんて書くことよりも、はるかに文学的だ。

 前回書きたかったことを軽く書いてみました。「また会う日まで」もうちょっと読み進めてまた書いてみます。

2010年10月25日月曜日

疲れてます

ちょっと疲れてます。

酒飲むくらいで丁度ええです。

あとMHKはおもしろくないと評判らしいですが、面白いと思います。

2010年10月23日土曜日

DCPRG

DCPRGを見に行く。

一番有名なミラーボールという曲で幕が開き、KBSホール名物のステンドガラスが現れるという演出は僕は嫌い。それで盛り上がる感じも苦手。
それ以外は、魔術的で、エキゾチックで、2010年の音楽の旅といった様相で、なんとも良かった。

 細部を聞くことが、音楽を聞き取れる証だと思って、高校生の頃とかなんかようわからんがベースラインばかりを聞いていた。それがどうもしゃらくさく、なんか似非インテリのような聞き方だと思い、そういう聞き方をやめ、大学生の後半ぐらいから全体の雰囲気や情緒に、聞き方の中心を移した。そうするとやっぱり音楽の情緒的な部分や、雰囲気の機微のようなものはよくわかるけど、細部を選び聞くという感性が発動されにくくなっていた。ただ今回のDCPRGは、ある種凶暴な音楽の魔力で、細部を聞く、選ぶという感性を無理矢理発動させられた気がした。音楽のある種押さえていた快楽が蘇ったというか。

 このタイミングでそういう風なことを感じ取れたのは、よかったと思っている。

2010年10月22日金曜日

柴崎友香

 柴崎友香の小説を4分の1まで読む。「また会う日まで」

 言いたいこといっぱいあるけどまとまらない。ためしに書こうとしたけど、思ったことの言い方がわからない。ただ柴崎友香は凄い小説家やと思う。この作家が風景をたくさん各理由とか、登場人物たちに感じるなんとも言えない気持ちとか、感覚では確かにあるんやけど、説明が文にできない。

うーん。言葉にするのが難しい。

2010年10月19日火曜日

風邪引き続き

風邪が続いています。つらい。

C−307で河島英五「酒と泪と男と女」をBGMでかけたら、半分かりあげ、半分ロンゲパーマみたいなお洒落大学生が、最近よく俺この曲口ずさむんすよ、と言っていた。何歳やねん。そして何があったんや。



今日の一句

【晩秋夜(ばんしゅうや) パブロンS錠 お茶で飲む】

2010年10月17日日曜日

風邪ひきました。

吹奏楽部のみなさん、見にいくよといいましたが、無理でした。

ごめんなさい。喉痛くてつらい。



【地蔵様 僕の秋風邪 すぐ直して】(字余り)

仏にも頼むけど、パブロンも飲むよ。

2010年10月16日土曜日

dpw動画







最近関わったプロジェクトの動画です。みておくれ。

さて今日の俳句
音楽についての句です。

【夏の歌 秋に聞いても 夏の歌】  

2010年10月14日木曜日

秋の一句

前回から引き続き、セイカノートの話題。
俳句について、千野帽子さんが書いています。

いろいろと思いました。そんな思いをこめて僕も俳句を読みます。

秋の一句です。

【秋の風 という曲を 昔作った】(字余り)

2010年10月12日火曜日

心添えにしたいもの

セイカノート 006 ことば特集で見つけた。
 
俺たちは、本当は、神を、魔術を、怪物を、神秘を、奇跡を、伝承を、終末をー生きる心添えにしたい、好きでもないカラオケに行ったり、お洒落に大枚を投じたり、気の合わない人間にしっぽをふったりしたくない。

 下鴨神社のお膝元に住んでいると、鳥居をくぐるときに一礼する人によく出会う。そんなふうにする人達の生きる心添えは引用文のようなものなんやろうか。凛とした佇まいだと思います。心に添えるのは、美しいものでありたい。

 オウム事件やなんやからの教訓だなんとかいって、「信仰」を日本は遠ざけようとしたけど、「信仰」は全然遠くに行っていない。形が変わっただけやと思う。この文は「信仰」の危険も全部ひっくるめた上で、包み込むような味わいが素敵だと思います。

2010年10月8日金曜日

辞めました。

しばらくツイッターもmixiも辞めます。

あ、辞めるのは期間限定(の予定)。来年になったら告知したいこととかもありますんで。そんときはまたよろしくです。

理由はわりとよく見ちゃうからです。見なけりゃ良いじゃんて感じですが、みちゃうのですよ。あれば。
(自分でいうのもなんですが)コミュニケーションにおいて器用なところもありますが、全然駄目なところもあります。まぁここでわざわざ退会せにゃならんのも、不器用で駄目な部分でしょうな。まぁちょっと家で頑張りたいことや勉強したいことがあるということです。

友人、知人各位、携帯でメールしましょう。メール好きです。あと会いましょう。
会いたくなったら会いに行きます。会いたくなったら会いにきてください。一人暮らしだし、気軽に会いにきてください。

ちょくちょくブログ更新します。よければ見てください!!

そうだ、今日精華で大崎洋さんの講演会があった。ダウンタウンのもとマネージャーで現吉本興行の社長。ちょっとしか講演会見れてないけど、かっこよかったなぁ。びっくりするぐらい薄い接点もあって、頑張ろうと思いました。ほんのちょっとは世界のおもしろいものを知ったけど、ダウンタウンは今だに僕の真ん中にいます。つまり青春がまだ負けてくれないのです。過去には負けたくないもんだ。

2010年10月3日日曜日