2010年12月31日金曜日

大晦日

来年も皆さんよろしくちゃんです!

2010年12月26日日曜日

メリークリスマス

メリークリスマス!

それだけ?

それだけ。

2010年12月23日木曜日

言葉遊び

ちょっと書きたいことがあって「夜道を歩いておりました」と書き出してみましたが、興がのらんので不思議ちゃんを装い、言葉遊びします。

「夜道を歩いておりました」

黄泉値をある一定降りました。
よ、道雄!あ、瑠偉!井出!…(先生に報告するように)おりました!
世、未、血、汚、或る異、手…(神様に報告するように)おりました!

年末ですなー。忙しいです。

2010年12月14日火曜日

鳥半分埋まる



親父が上記のような鳥をみたそうです。道路の路側帯に半分うめられてたそうです。



こうかもしれない。

不条理や。ちゃんと埋め直してあげたそうです。

文世光事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%B8%96%E5%85%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6 (暗殺に向かう行程がドラマか映画のよう)

 父はこの人と同級生だったそうだ。革命の獅子というようなカッコイイものではなく(実際喧嘩は強かったらしいが)、お調子者だったから組織に利用されたんじゃないかなーと父の談。熱い時代だったから、こういう人をはやし立てた周りの人もいたんでしょうね。文世光は祭り上げられ、暗殺に失敗して、組織に守られることなく死刑になった。革命の中で想像できる悲劇の中で最も典型的な例でしょう。こんな例、太古の昔から山のようにあったんじゃないかと思うような。

 革命というのは何も遠い過去の話ではなく、今ロンドンが学費の値上げで、暴動が起こってるとのこと。写真で見たがかなり凄い。ロンドンバーニング。さすがパンクスを生んだ街。そんな中でも巻き込まれてるだけのやつとか、調子のってるだけのやつとかいるんでしょうね。しかもだいたいそういう奴に悲劇が降り掛かる。
 
 じゃあ想像力の翼を広げ、現代日本で文世光のようなやつがいたらと考えてみる。やっぱり救いのない話になるでしょうね。物語として、こういう救いのない話って興味があります。

 まぁ辛気くさいことばかり綴るのもなんなんで。

 

2010年12月9日木曜日

からす

今朝寝ぼけまなこでぼんやりからすの鳴き声を聞いていた。からすというのは本当にあほのように鳴く。実に脱力系な鳴き声だと思う。

のくせに、姿形はソリッドで、生ゴミなどをあさる様は地獄の使者の様相。

漢字にいたっては、鳥から棒線いっぽんひかれている。烏。

じゃあ忌み嫌われているのかというと、そうでもない例もあり、八咫烏は神様になって、サッカー日本代表のシンボルにもなっている。

からす良い感じやな。

七つの子(童謡)

からす なぜなくの からすはやまに かわいいななつの こがあるからよ
かわいい かわいいと からすはなくの かわいい かわいいと なくんだよ
やまのふるすへ いってみてごらん まるいめをした いいこだよ

いい歌詞だ。

ただ都市の繁華街などに早朝いってみるとからすが生ゴミあさり倒していて怖い。

2010年12月5日日曜日

2010年12月4日土曜日

2010年12月3日金曜日

安藤裕子他

先週なーんの知識もないまま、チケットもらったので安藤裕子のライブにいく。ああこの曲ええ曲やなーと思う曲がいくつかあり探す。見つける。

突然だけど、「がんばれ」と言う言葉を不用意に使うなとかよく最近みんな言うけど、「がんばれ」と言う言葉の力はただそこにあって、いつでも誰かにその力が届くのをまっているのではないだろうか。それは普遍的なイメージの力であって、現代の人間が策を労した、【がんばれを使うな】というルールよりもずっと強いものではないだろうか。


がんばれー!

2010年11月30日火曜日

ドッキュンメンタリティー

前回からの流れもあって、ガーデンの 「ドキュメンタリーという映像表現 その思想と手法 」を勝手にまとめます。講座を受けていて、TVドキュメンタリーのディレクターにも確かな作家性のようなものが感じられました。

以下簡単やけど。



大島新

被写体と対峙し、しかけ、空気を変えることでドキュメンタリーの雰囲気を作り出す。こちら側からエネルギーをぶつけることで対象のリアクションを引き出す。ご本人の正確が真面目な方なので、しかることや対象のエネルギーに負けないようにすることに、はっきりとした意思を秘めているように感じた。王道ドキュメンタリスト。

横山隆晴

長期取材と、長年培われた技術力で、自分の意図を確かに映像化する。不確定なドキュメンタリーの素材を「力」で映像化する。早いカット割、多彩な映像素材の使用、音楽のタイミング、ナレーションの抑揚のつけかたなどでダイナミックに映像を展開していく。テレビドキュメンタリーの技術を駆使しながら、魅せる映像を作っている。

藤井稔

横山さんとは対照的な静のドキュメンタリー。どこまで引き算できるのか、映像から何をひけるのかを常に考えている。映像のもっている劇的要素へのアンチテーゼをテレビドキュメンタリーという枠の中でやっている。山小屋カレーという作品はとても好きだった。省略が生かされた静謐な作品。

国分拓

文学で扱うようなテーマをドキュメンタリーでやろうとしている人。半径5mの狭い世界ではなく、大きな世界のしくみや考え方を魅せようとしている。例えばガルシアマルケスの『百年の孤独』。例えばカポーティの『冷血』。強い映像、幽玄な音楽、言葉数の限りなく少ないナレーションの伝え方で壮大な世界観を形作る。



 作品を見て、話を聞いてみて、どの方にもかなりはっきりした作家性があるなと感じた。それらの方向性というのもはドキュメンタリーの可能性そのものだと思う。ディレクターの取り組みを一作品毎に詳細に論じれないのがちょっと残念ではある。
 ただTVドキュメンタリーには、こういう「作家」へ企画を提案する、もしくは組んでドキュメンタリーを作る専門のプロデューサーが欠けているでは?という危惧もある。例えば、あえて藤井さんに「従軍慰安婦問題」を料理(不謹慎な言い方やけど)してもらうとか、国分さんに「ある小学校の一日」という極めて身近な世界をふってみるとか。いっそフィクションをやらせてみるとか。そうすることで、思っても見ない映像が立ち上がってきて、ドキュメンタリーのファン層が増えるのでは。漫画家の浦沢直樹における長崎尚志的な人がもっと出現すればいいのに。

2010年11月21日日曜日

ヤノマミ

 金曜日は学生ちゃんたちとひっさびさに飲み。僕は学生とはあんまり飲まない。かといって飲まないと決めてるわけでもない。なんか楽しかったな。なんかいろいろ褒められた。有り難い。S先生も合流して3時まで。良い場所も見つけたし。

 学生にはこう妙に決断力のある人や、しっかりしてる人間のように思われる節があるのだけど、僕自身は真逆の人間だと思う。というかそういう部分を最近は努めて出さんようにしているのかな。教訓的な話をしてしまうこともあるし。でもまだまだ僕が教えをこいたい身分だし、未熟な人間である。実際、僕をよく知っている人間にはおわかりの通り。しかし、他の人が見た自分に中身があって行けばええのになと思っている。とまぁなんでこんなことを書くのかというと、今日見たドキュメンタリー「ヤノマミ」とディレクターの国分さんの話が凄かったからです。



 ドキュメンタリーってこんなことも出来るのかと思った、映像体験でした。このとんでもないドキュメンタリーをものにした国分さんの行動力や、堂々した気のようなものも、なんというか自分との違いに凹まされました。文化人類学的見地に立たないという、映像ディレクターとしても気概も見事。いや、自分はアイデアを生む才能というのは自分では多少あると思っているのですが、そんなアイデアがたとえ泉のように湧き出ても、行動し、力づくでアイデアをものにしなければ、形にならないし、価値にもならない。アイデアを形にする、強靭でありながらかろやかな足腰がいるんですわ。自分にはそれがね、かけてるもしくは無いなと思ってね。
 
 学生に話している教訓は実は自分が一番実現させなあかんことなんでしょうな。隣の部屋のお嬢ちゃんが、友人をつれだって大きな声でガールズトークをしているのも相まって、眠れん夜になってます。

2010年11月19日金曜日

帰宅した!

今まで映像編集。しんどーい。くらくらします。

帰宅して今から昨日の残りのおなべを食う。

あ、今スポルト見てますが、平井アナの服装エロ!

2010年11月16日火曜日

ドレイク方程式

ドレイク方程式

N =R*×fp×ne×fl×fi×fc×L

N :我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数

R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
fp  :惑星系を有する恒星の割合
ne :1 つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
fl  :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fi  :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fc :その知的生命体が星間通信を行う割合
L  :星間通信を行うような文明の推定存続期間

2010年11月15日月曜日

宇宙のはじまりはじまり

宇宙って137億年前に出来たとされているそうです(宇宙情報センター情報)
じゃあ138億年前にはどういう世界だったのでしょうか。

無でしょうか。無が有ったのでしょうか。いやいや、無やったら無いやん。

「以下宇宙の始まりの説(宇宙情報センター情報)

無のゆらぎから宇宙は生まれる
宇宙がどのようにして誕生したのか。もっとも素朴で、かつ、もっとも難しい問題のひとつです。宇宙の誕生についてはさまざまな説が唱えられていますが、主流の説のひとつに、「無のゆらぎ」から宇宙は生まれたとするものがあります。

無のゆらぎとは、無と有の状態が両方とも同時に、ある確率をもって存在している状態を指します。私たちの身近にあるものも、細かく分解して見ていけば、実はすべて確率的に存在しているに過ぎません。このような概念に基づく物理学を、量子論と呼びます。量子論は決して数学的なモデルではなく、実際に起きているさまざまな現象を説明できる物理学です。この量子論的な世界が、宇宙の始まりにあったと考えられているのです」

特にここ、無と有の状態が両方とも同時に、ある確率をもって存在している状態って文章すごくないですか。

2010年11月8日月曜日

日本シリーズ

日本シリーズ、最終戦最高やった。

全然追っかけてない今シーズンやったけど、一人で見てても楽しかった。出来れば親父とああだこうだいいながら見たかった。

千葉ロッテマリーンズ、ファンの皆さんおめでとう。

それにしても、同い年の中日ドラゴンズの浅尾すげー。鉄人や。アナウンサーもカメラマンもテレビ局も熱があった放映だった。

2010年11月7日日曜日

議会の承認

 昨日は一人で仕事を遂行してくれた、後輩Mを我が城(ワンルームマンション)でもてなす。スーパードライを飲みたいのだけど、我が城では基本発泡酒。

「今日は折角なのでスーパードライを買う」
「しかし国王、我が城の規約では発泡酒を買うことになっています」
「規約を変える。スーパードライも買っていいものとする」
「しかし、それには議会の承認が」
「お前含め全員おれなのになんで議会の承認がいるのだ」
「いや、一応、そういうもんでして」
「議会メンバーも全員俺なのに。それでも招集せんといかのか」
「そうです」

「今から臨時議会を開く。一同真摯態度な望むように」
「ははー」
「俺はスーパードライ買うために、規約を変えたい。なんだ、財務大臣」
「それでは、財政が圧迫します。むしろ発泡酒でも毎日飲むのは控えていただきたい」
「なんだ、法務大臣」
「この時期にこのような重要な規約を変えると、城の内政の不安を諸外国に露呈することになります」
「そうか、俺のくせに俺のやりたいことをさまたげるとは。ええーい、それでも俺か」
「俺でございます」
「くそー、俺め。もうよい、俺のいうことを聞かない俺は全員死刑だ」
「ひえー、暴君だ」

ということで、俺のいうことを聞かない俺は全員死刑にして、スーパードライを飲みました。

2010年11月5日金曜日

ソラニン

 稚拙な雑記でございます。

 ソラニンがびっくりするくらいおもんない。こう書きたい。お・も・ん・な・い。なーにもおもんない。もうこれやったらね、ライクアローリングストーンズのほうがおもろい。なぁ。
 
 最近寒いですね。うちの親父は頭おかしいので、家で酔っぱらったら「ちゃむい」といって家族に甘えてきます。あほですね。でも僕も結婚して慣れてきたら、ちゃむいとか言い出すかもしれません。恐ろしい話です。ああー恐ろしい。

 学生ちゃんが、彼氏できましてんと報告される。ほうかほうか、誰でんねんと聞くと、〜君でんねんと答える。そのままの流れで、「幸せやわー。というか私今までずっと幸せやった」とおっしゃる。常に幸せ。ええのー。うらやましい。うらやまー。と言う。でもそうなるとその状態が幸せってわからんのでは?幸せじゃない状態を知らないと幸せもわからないのでは?とちょっと時間たって思った。ただその学生ちゃんは強い娘なので、そう言い聞かせてるんやと思う。そういう心意気は好き。

 報道ステーションで玉本さんが出ていた。ミャンマーの軍事政権が選挙するそうです。何十年ぶり。でも傀儡選挙なんです。おまえが民主化民主化はいうんやったら、選挙くらいやったらー。でも出来レースなんですよ。軟禁状態のアウンサンスーチーさんも出れないし。民主化の夢は今だ遠い。これ例えば、プロパガンダ広告をかまし、選挙してまっせー報道をしてたら、おおミャンマーも民主化に近づいたやな、とか思うのでしょうか。上記の学生ちゃんの心意気が遠いミャンマーの地に降り注ぎますように。それにしてもフリーのジャーナリスト大変みたい。金にならんそうな。むかつく。。。玉本さん、お疲れさまです。

 

2010年11月3日水曜日

大阪大阪していた

 実家。

 今日は大阪大阪していた。

 午前は犬の散歩に行く。犬の甘えん坊っぷりは凄い。でもあんなふうに「超好き、大好き、たまらんくらい好き」ということを全身で表現されると嬉しいもんだ。

 午後は出かける。上本町から日本橋まで千日前通りを練り歩く。路上でポン菓子が売っていた。ラブホの隣にギャラリーがあった。あの辺の空気は、意志薄弱な自分と違い「this is it」な感じがして好き。日本橋につき、堺筋に折れて、電気街を目指す。カメラのナニワに行くがお目当てのものはなかった。そのまま難波シティーの旭屋に行き、雑誌を立ち読み、町田康の新作を買う。人間小唄。swtichのバックナンバーが売っていて、「編集部保管のものも持ってきました」的なことが書かれてあった。編集部は保管せんでもええのか。1冊くらいはしてるのか。どうでもええことを考える。それから旭屋を出て、近鉄電車へ向かう。しかし完全に逆方向にいってしまい、難波シティーのお尻までいき、さらに難波シティーをわざわざ出て、さらに歩いたところで逆方向だと気づく。戻る。近鉄電車に乗る。
 近鉄にのり、鶴橋で降りて、ブックオフで適当に時間をつぶして、母と落ち合う。母と千日前通り沿いにある入船寿司で寿司を食う。小さい店だが、おいしい。シャケやうなぎ、えびを食べる。白子や牡蠣も食べる。うまい。魚のあらのはいったおすましも飲む。うまい。魚のだしとは思えんくらいの、うまみ成分。食べ終わり、会計は母が出した。二人で5000円くらいだったらしい。1000円くらい出そうか、と言ったがいらんと言われる。飲まなかったら2500円で結構腹一杯食べれる。ここはまた来たいと思った。最近実家はバブリーだ。妹が結婚するのだけど、新郎のご両親と会うために、父はスーツや眼鏡まで新調していた。ストライプが入ったジローラモが着るようなやつらしい。こういうと、どんな父親像を想像するだろうか。その想像とは絶対に違う父親であることを断言する。都ホテルのロビーのカフェで顔合わせをするそうな。なんで都ホテルやねんと妹に聞いたら、(在日韓国人の家どうしの結婚なのだが)在日韓国人は都ホテルが好きらしい。へー。そうなんか。しっかしいつきても日本とは思えん。韓国とも思えないけど。鶴橋というのは、近くに専門学校もあるから、以外に若い人も多い。若者はこういう風景をどなふうに捉えているのだろうか。まぁ好き勝手みているやろうな。そのことが重要だしそれで良いと思う。

スーパードライ(2パック)、みかん、梅干し、チョコレートなど拝借し、重たくなった鞄と共に京都。大阪で生まれた男やさかい、大阪の街よう捨てん。捨てたけど。

明日からまた京都京都する。

2010年10月31日日曜日

柴崎友香3

 狂ったように、こつこつ積み重ねる行動の描写は、その瞬間を記録するためなんだと思う。もちろん本当はその瞬間を記録出来ているわけではない。ペンを走らせた時点で、行動よりも遥か彼方の時間の中で思考しているのだから。「また会う日まで」の主人公はカメラが好きだ。しかし、瞬間を記録できると思われがちなカメラでさえ、瞬間の記録をすることはできない。

「あ、今だ、と思ったその瞬間っているのはほんとうにその一瞬しかなくて、カメラを用意している間にもうどこかへ行ってしまう。だから、似たような、それとも全く別の瞬間をまってカメラを構え続けるしかない」

 この引用文のような想いは、作者の描写に対する信念そのものではないだろうか。あ、今だ、と思った瞬間が逃げていくからこそ、捕まえようとする。この瞬間を捕まえようとする行為。それはすなわち、リアリズムだ。ある世界の情報を自分の作為により編集することを至上命題に掲げた創作ではない。世界の情報を捕まえた瞬間を記述しようと苦心している、リアリズムの文学だ。優れたドキュメンタリーは、人の生活の息づかいのようなものが聞こえてくるが、それとて、作者の編集が施された、生活のレプリカである。でも自分が世界の情報を捕まえた瞬間を正確に記述しようとしているから、生活のレプリカがリアリズムになる。

 柴崎友香作品にもそのような感じがする。

 

2010年10月27日水曜日

柴崎友香2

 人間は素直がいい。素直な状態というのは、素直なのだからa「ああこいつはAさんをどつきたいと思っているなー」とかb「ああなるほどAちゃんは、めちゃめちゃ今エロい気持ちなんやなー」とかが一目でわかる状態である。そうすると他人はその状態に対し、何らかのリアクションが出来る。

 しかし現実は、aの場合「くそ、でも相手は俺の会社の社長で、年収3兆円で、ロシアの秘密警察が防衛にあたっているので、殴ると俺が死ぬから、低姿勢をつらぬこう」となりがちやし、bの場合も「でも相手は、乙女な超草食系で、いつも天体観測のことにしか興味の無い理系男子だわ、エロい気持ちは押さえて、銀河鉄道の夜の朗読をしよう」ということになる。

 で、例えば、小説の場合、行動もかけて心理もかけるから、抑制した行動を記述しつつ、でも本音はこう思ったなんてことが容易に出来るが、現実では表出した行動の裏にかくれた行為を読むとくのはなかなか難しい。だから心理、行動両方かけるけど、文学者は文でその両方を繋げようとする、なんか妙竹林な暗喩を使いながら。「豚のような気持ちで、犬のような忠誠心を表出させたのでR」とか書くんだと思う。とにかく作者は心理と行動を丁度の文で現したい。

 でも、柴崎友香は、自分の行動しか書かない。暗喩も使わん。もう行動を徹頭徹尾信じきっている。信じるとかいうニュアンスも違うな。行動がそこにあるといった感じ。でもそれは素直な行動じゃないかもしれんし、素直な行動かもしれん。あんまりわからんのだけど、行動がただそこにあり、その行動を信頼しきっているから、登場人物達が気持ちいい。素直な行動も素直を覆い隠している行動も、そうしたいと思っている切なる状態のときに、暗喩などを考えている暇などない。その決意は鋭利で、ある種の人達がもっている「功名に人をカタログ化しようとする」行為に対して、徹底的に否を唱えているようなアナーキズムがある。この人の小説は、ほわーんとしたなひよった感じではない。わかりやすい文章だけど、「豚のような気持ちで、犬のような忠誠心を表出させたのでR」なんて書くことよりも、はるかに文学的だ。

 前回書きたかったことを軽く書いてみました。「また会う日まで」もうちょっと読み進めてまた書いてみます。

2010年10月25日月曜日

疲れてます

ちょっと疲れてます。

酒飲むくらいで丁度ええです。

あとMHKはおもしろくないと評判らしいですが、面白いと思います。

2010年10月23日土曜日

DCPRG

DCPRGを見に行く。

一番有名なミラーボールという曲で幕が開き、KBSホール名物のステンドガラスが現れるという演出は僕は嫌い。それで盛り上がる感じも苦手。
それ以外は、魔術的で、エキゾチックで、2010年の音楽の旅といった様相で、なんとも良かった。

 細部を聞くことが、音楽を聞き取れる証だと思って、高校生の頃とかなんかようわからんがベースラインばかりを聞いていた。それがどうもしゃらくさく、なんか似非インテリのような聞き方だと思い、そういう聞き方をやめ、大学生の後半ぐらいから全体の雰囲気や情緒に、聞き方の中心を移した。そうするとやっぱり音楽の情緒的な部分や、雰囲気の機微のようなものはよくわかるけど、細部を選び聞くという感性が発動されにくくなっていた。ただ今回のDCPRGは、ある種凶暴な音楽の魔力で、細部を聞く、選ぶという感性を無理矢理発動させられた気がした。音楽のある種押さえていた快楽が蘇ったというか。

 このタイミングでそういう風なことを感じ取れたのは、よかったと思っている。

2010年10月22日金曜日

柴崎友香

 柴崎友香の小説を4分の1まで読む。「また会う日まで」

 言いたいこといっぱいあるけどまとまらない。ためしに書こうとしたけど、思ったことの言い方がわからない。ただ柴崎友香は凄い小説家やと思う。この作家が風景をたくさん各理由とか、登場人物たちに感じるなんとも言えない気持ちとか、感覚では確かにあるんやけど、説明が文にできない。

うーん。言葉にするのが難しい。

2010年10月19日火曜日

風邪引き続き

風邪が続いています。つらい。

C−307で河島英五「酒と泪と男と女」をBGMでかけたら、半分かりあげ、半分ロンゲパーマみたいなお洒落大学生が、最近よく俺この曲口ずさむんすよ、と言っていた。何歳やねん。そして何があったんや。



今日の一句

【晩秋夜(ばんしゅうや) パブロンS錠 お茶で飲む】

2010年10月17日日曜日

風邪ひきました。

吹奏楽部のみなさん、見にいくよといいましたが、無理でした。

ごめんなさい。喉痛くてつらい。



【地蔵様 僕の秋風邪 すぐ直して】(字余り)

仏にも頼むけど、パブロンも飲むよ。

2010年10月16日土曜日

dpw動画







最近関わったプロジェクトの動画です。みておくれ。

さて今日の俳句
音楽についての句です。

【夏の歌 秋に聞いても 夏の歌】  

2010年10月14日木曜日

秋の一句

前回から引き続き、セイカノートの話題。
俳句について、千野帽子さんが書いています。

いろいろと思いました。そんな思いをこめて僕も俳句を読みます。

秋の一句です。

【秋の風 という曲を 昔作った】(字余り)

2010年10月12日火曜日

心添えにしたいもの

セイカノート 006 ことば特集で見つけた。
 
俺たちは、本当は、神を、魔術を、怪物を、神秘を、奇跡を、伝承を、終末をー生きる心添えにしたい、好きでもないカラオケに行ったり、お洒落に大枚を投じたり、気の合わない人間にしっぽをふったりしたくない。

 下鴨神社のお膝元に住んでいると、鳥居をくぐるときに一礼する人によく出会う。そんなふうにする人達の生きる心添えは引用文のようなものなんやろうか。凛とした佇まいだと思います。心に添えるのは、美しいものでありたい。

 オウム事件やなんやからの教訓だなんとかいって、「信仰」を日本は遠ざけようとしたけど、「信仰」は全然遠くに行っていない。形が変わっただけやと思う。この文は「信仰」の危険も全部ひっくるめた上で、包み込むような味わいが素敵だと思います。

2010年10月8日金曜日

辞めました。

しばらくツイッターもmixiも辞めます。

あ、辞めるのは期間限定(の予定)。来年になったら告知したいこととかもありますんで。そんときはまたよろしくです。

理由はわりとよく見ちゃうからです。見なけりゃ良いじゃんて感じですが、みちゃうのですよ。あれば。
(自分でいうのもなんですが)コミュニケーションにおいて器用なところもありますが、全然駄目なところもあります。まぁここでわざわざ退会せにゃならんのも、不器用で駄目な部分でしょうな。まぁちょっと家で頑張りたいことや勉強したいことがあるということです。

友人、知人各位、携帯でメールしましょう。メール好きです。あと会いましょう。
会いたくなったら会いに行きます。会いたくなったら会いにきてください。一人暮らしだし、気軽に会いにきてください。

ちょくちょくブログ更新します。よければ見てください!!

そうだ、今日精華で大崎洋さんの講演会があった。ダウンタウンのもとマネージャーで現吉本興行の社長。ちょっとしか講演会見れてないけど、かっこよかったなぁ。びっくりするぐらい薄い接点もあって、頑張ろうと思いました。ほんのちょっとは世界のおもしろいものを知ったけど、ダウンタウンは今だに僕の真ん中にいます。つまり青春がまだ負けてくれないのです。過去には負けたくないもんだ。

2010年10月3日日曜日

2010年9月28日火曜日

実家近くの公園



かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ 監督 スパイクジョーンズ BDで鑑賞

初ブルーレイ。精巧なフィルムの偽物って感じがした。いわゆるフィルムっぽさまで再現されているからびっくり。DVDとは完全に別ものです。これからは何で鑑賞したのかって結構重要かもですね。

簡単なあらすじ

 かいじゅうたちのいるところは、周りの環境に対して理不尽な怒りを覚える子供マックス君が主人公。マックス君が周りの環境のあまりの嫌さかげんに絶望し、空想?の旅に出て、怪獣たちと出会うところが物語の前半部分。そこで怪獣達に慕われ、怪獣達の王様になり(正確にはなりすまし)その場を理想郷にしようと奮闘するが、マックス君が自分たちを導いてくれる王様ではないと怪獣達に見破られ、目指していた理想郷はついに実現しなかった。しかし怪獣達のやりとりや挫折がマックス少年を少し大人にし、少年は現実へと戻って行く。
 
感想 

 久々に感覚で作られた映画を見たなという感じ。手ぶれの映像、撮影のアイデア。何もかもが、「あ、こういうふうにとりたい」といった瞬発力、初期衝動で満ちあふれている。僕はこういった撮影上の工夫を、主人公の心情と同期させていると感じた。つまり突発的なアイデアを採用しているのは感受性の強い少年の心情に寄り添うためである。そのことを論理的根拠にして映像のアイデアを炸裂させている。
 で、そういった演出は非常にマックス君の心情を的確に捉えて、僕はわくわくするような高揚感を覚えた。ああ、小さい頃に見たディズニー映画のようだと思いながら見ていた。マックス君演じる子役も天然なのか天才なのか、良い加減の演技を披露している。
 
 じゃあ良い映画なのか。でもこれは少し残念な映画なんです。いくらなんでも脚本がずさんすぎるからです!マックス君の成長過程を語らなさすぎる。語らないのがいいんじゃん、そこがディズニーと違うところじゃんという反論もわかる。でもね、この映画って本当に明確な
成長物語なんですよ。そして珍しいのは挫折やディスコミュニケーションが成長の発露になっているところ。実感としてはわかるけど、ハリウッド映画としては珍しいケースなわけです。なら、スパイクさんがなぜ、このレアケースを成長物語として採用したのか、その目的をはっきり示すべきではなかったか。そこがないから、なんともぼんやりとした印象の映画になるのです。この映画は目的語のない文のようなものじゃないか。そこには才能の無邪気さだけがあって、観客を刺すような鋭利なものが少なかった。

 冒頭のシーンを筆頭に目的のはっきりした部分のほうがあきらかに出来がいい。冒頭は本当に良かった。この世界は嫌なんだ!て気持ちが伝わってきましたよ。怪獣がつくった理想郷のミニチュアを主人公に見せるシーンも良かった。初めて大切なものを披露するときのふれあいの瑞々しさがよく出てた。

 けなしてるんだか褒めてるんだかですね。

2010年9月18日土曜日

もの憂う犬 笑う犬


dwp

 イギリス人の学者や、アイルランド人のアーティストと一緒にプロジェクトをしています。こんな風に書くと、彼らがとても特別な人のように思えますが、全然そんなことありません。言葉にするととてもチープですが、当たり前の感覚をもったとても素直な人達です。
 昨日の夜、プロジェクトメンバーの京都での仮住まいに招かれて、御飯を作ってもらいました。素敵なホスピタリティーで、帰り際は玄関先まで見送ってくれました。あと特筆すべき事項として、プロジェクトのメンバーの一人、イギリス人、22歳アレックス君がしゃれならんくらい顔がかっこいいです。ただ、ここでは書けないそのかっこよさを生かしきれてないエピソードを聞いて、こいつはええやつだと思いました。

 国際人って変な言葉です。そういう特別な権威意識が距離を作り、言葉を抑圧し、話せなくさせるのに。こんなこと留学した人や、言語が通じない外国人とよく接する人なら当たり前の感覚なのでしょう。僕は最近そういう機会をへて、初めて思いました。英語もっと話せるようになりたいです。

 そのプロジェクトには精華大学のテキスタイルの学生も参加していて、彼女達のものづくりの姿勢には、はっとさせられます。インスタントな感情を拡大して伝える術ばかりが発達したおかげで、(自分にとって)どうでもええことに感情をフォーカスをしてしまうことがあるけど、彼女達のものづくりに対する純朴な情熱のようなものに触れて、ピントが合ってきたような気がします。作業している教室に入ったときの凛とした空気が、気持ち良かったです。



dialogues with place

久々の日記でした。

2010年8月23日月曜日

感想

板尾創路の脱獄王 板尾創路

アングラ映画。石井輝男とかの世界なのではないでしょうか。うまい演出と言われてますが、そなんことよりも、吉本芸人がアングラ映画ど真ん中を作ったことのほうに衝撃を感じてもいいのでは? 脱獄王かっこよかったな。

マイマイ新子と千年の魔法 片渕須直

傑作。気持ちいい。動く絵の魅力とか、カメラの構図とか、声優の方言とか、音楽のスキャットとか。全部気持ちいい。明日の約束をしなくなった大人こそみるべき作品。真面目は強いんだと思わせてくれる。想う力は道徳を超える。それが悲劇にもエロスにも喜劇にもなる。今回は生きる力になった。これが物語の力。やっぱ触覚とか味覚とか嗅覚とか大事やな、ほんまに。今書きながら2回目みてる。

告白 中島信也

ちょっと前に見た映画ですが、評してなかったので書きます。実験的で暴力的でかっこいい映画ではあった。それこそ敬愛するキューブリックに迫らんとする映像。でも僕は、この「告白」に初見で欠けてるものを感じた。映画的であろうとするが故に、映画的説得力を得ようとするばかりに見失っているもんを感じた。具体的にそれがなんであったのかはDVD見たときに見つけたいと思います。もしかしたら間違ってるかも。でもキューブリックは決してそれを逃さなかったように思えんねんな。基本的には監督めちゃ好きです。サントラも買いました。

束芋 インスタレーション

国立国際美術館で見ました。職人肌ですね。予想よりエロかった、真面目やった、本気やった。全部があったからPOPだと、大衆的だと思いました。何かがかけたら表現になり得ないですね。(偉そうですが)でもまだいける。まだまだいける。

また映像見たら書きます。

2010年8月17日火曜日

書きまくり

 久々ブログ書きまくり。 

 映画 さんかく 吉田恵輔

 傑作。前半日本版ロリータで、ロリロリでエロエロで、後半はそれがこうじて痛くて痛くてたまらない。偉そうなこというけど、純喫茶磯部は吉田監督のTV的(テレ東的)な演出が映画という中で少し中途半端やと思ったけど、今回は、ああ、もう最高最高最高と思いました。古典的映画なんてぶっ飛ばして欲しい。そんなことより伝えることが大切。ラストシーンの言葉のない視線繋ぎは21世紀の邦画の可能性だと断言します。かっこいいです。すべての顔が神々しい。

 映画 インセプション クリストファーノーラン

 傑作。監督は物語を語ることに罪悪感がある人。つまり芸術家ですね。物語を語ることを物語にする映画。マトリックスとかジャパニメーションとかと同じ系譜というか。物語「これから、どうなんねん」と思うと同時に「どうなるか本当は知ってる」物語でした。どこかで語られたことのあるであろう物語(でも見たこと無い気もする物語)が、鮮やかに実写になっていることそれ自体に、とてもポジティブな快感を感じました。それは物語を消費しつくしたからこそ味わえる快楽ですね。僕はもう中盤から後半はにやにやしっぱなしやった。ダークナイトよりメメントより僕はこっちが好き。「物語よりも、現実」というテーマで「物語」を作らなければいけない矛盾を、時間をかけて丁寧に、何より面白い「物語」で語っていることが、とてもとても良いことのように感じました。脱線しますが、メディアリテラシーなんていう言葉は、この映画の主人公のような心情がないならただの遊びやん。

 日韓日本の、これから NHK

 言いたいことはわかったし楽しくもあった。けどけど、どうしても話をしている内容が日韓の若者にとって大切なことのようには思えない。大切なことってそんな簡単に人に話せることか?明日の晩飯は?セックスしたいとかいう欲望は?課長殴りたいとかっていう悩みは?もうそういうのはいいの?そういうのは素朴な日常の拘泥が、戦時下はそのまま歴史になったと思う。だから今の自分の些細な感覚や、五感を研ぎすますことで、僕は少しでも歴史に近づけたらいいと思う。このTVを見て、どっちでもいいと思ったことがたくさんある。妹様も見てたけど、僕の尊敬する妹様も「どっちでもいい」とおっしゃってました。

 余談①
 フジファブリック MUSIC
最高やった。

 余談② 友人との電話
 触発されることが多かった。どうでもいいことも、どっちでもいいことは考えなくて良い。考えたいことには一生懸命になる。勇気はすぐに怠けて、ぶくぶく太っていく。そんでそんな脂肪のついた勇気なんて、もはや勇気とはいえずグロテスクなもんになるんじゃないか。でもそれと気づかずにそんなグロテスクなもんを勇気やと思っているなんてアホじゃないか、そんなことを電話の話で思った。

2010年7月24日土曜日

映画の感想

最近見た映画のざくっとした感想。

この自由な世界で ケンローチ 

 ケンローチの映画が面白いのは、基本白黒で語らない、語ろうとしても周囲の環境がそれを許してくれない、結果ビターズエンドになる。この映画では人材派遣会社を起こし、不法滞在をする移民に、不当な仕事を斡旋するシングルマザーが主人公。この主人公の生き方は決して倫理的じゃないが、パワフルで、光の当て方したいで悪にも正義にもなる。ドラマとして考えるならこの主人公の話を美談にする作家が多いのではないか。ケンローチの映画ではそんな「ずる」は許さない。何もそのことの事実を淡々と描くのではない。「ずる」を許さない、という編集をしているのだ。意思ですね。そこに感動する。にしても「自由」嫌い。「自由」はこの言葉を使う側の「楽したい」願望が透けて見える。「楽したい」だけなのに、良いことのように聞こえてしまう危険性のある言葉ですね。

机のなかみ 吉田恵輔

 この映画も感動した。三角関係の話を面白おかしく語ってるんやけど、キャラクターに愛情があって、映画に愛情があって、あべこうじが素敵で、よかった。もう話法とか破綻してるんやけど、泣いてる女の子の独白をどアップで延々撮ってるシーンに感動した。自主映画っぽくて稚拙やけど、心が豊になります。吉田恵輔最新作「さんかく」見に行こうかな。この人は三角関係にとてもこだわりのある人なんかな。夏目漱石みたいやな。でも三角関係というのはサスペンスの緊張感が描きやすいから、映像メディアでは重宝するかも。

麦の穂をゆらす風 ケンローチ

 第一次戦争後のアイルランド独立闘争の話。これも白、黒の間でもがく民の話。貧すれば、奪われれば、自分の権利とか奪われた内容とか、貧した自分の思いとかに厳密になるんやな。なるんやなじゃなくて、なってしまうのだ。アイルランドの悲しい歴史の話だけではない。ケンローチの映画くらいしか、このことを物語で見せてくれる映画作家はいない気がする。「ないもの」や「失ってしまったもの」に自覚的になってしまったあげく、もがいて、悲しい結末を迎える。ただ、じゃあ自覚的にならなければいいんだ!って簡単な教訓が得られる話ではないと思う。
 比較的長い映画やけど、アップがほとんどない。カット割り以前の段階のシナリオやプロットが強いとこういうことが出来る気がする。

次は 純喫茶磯部 吉田恵輔 と ワイルドアットハート デビッドリンチ 

見ます。

2010年7月9日金曜日

幻ノ進化論

http://www.kac.or.jp/bi/364

羽が生えていないのに、僕はなっとくしていない。

 メディアリテラシーって言葉がすごく流行ったけど、リテラシーってつまり、花の美しさを「読み解く」ってことじゃないですか。それを突き詰めると、「花が美しい」って認識よりも、「花の美しさを読み解く」って認識の方を先立せることになるのでは。そんなもんになってしまったら、「花の美しさ」を読み取ったことにならいでしょう。いや、本人はそう思ってるんやけど、「花が美しい」という深度が変わってくる。花の美しさを媒介にして、花の美しさを読み取った自分を強く感じてしまうから、「花の美しさ」には届かない。

 自分が摩耗する。「自分」を「自分」が認識しているだけやもん。何かに向かって放出されていない、ループしているだけ。でも本当に花を美しいと思っている人と、上記のような経路で花を美しいと思っている人も、言葉としては「花が美しい」だけやから、他人からみたら明確な差がでんわけです。でも絶対本人の充足感は違う。これは自分でも当てはまるし、どちらかというとそういう回路に巻き込まれやすい性格だと自覚しています。

だからせめて、時々羽をはやして、僕は僕自身の幻の進化を想像します。自分の認識の先にあるものに到達するために必要なのは、「脳」ではなく「羽」であると想像します。

2010年7月5日月曜日

列問題

えー、むかつきます。

叡山電車を精華大駅からぼくは待っていました。少し早くきたので、椅子に座ってエッセイを読んでました。で、気づくと電車がやってきてました。プラットフォームを見ると10人くらいの列。いつのまに列が。しゃあない、最後尾にならぶかってんで、最後尾に並ぶ。

電車が到着して、吸い込まれる待ち人。

まぁこれやったら普通やわ。でも、ボクはとあることに気づきました。

あれ、なんか椅子に座ってた組で、列に並んでるの俺だけやん!みんな列に並ばず、なしくずしてきに入ってる!

いやいや、ちょっと待とうや。僕ら列に並ばんと、楽してたんやから、最後尾につかなあかんやん。今回は全員座れたからええけど、これで列に並んでて座れなかった人がいたら、ずるした人、その人に刺されるで。

この件でたちが悪いのは、じゃあそれに気づいた勇気ある人が、今なしくずし的に入った人、全員最後尾に並べ!並ばな蹴る、ベルトでお尻をひっぱたく、草履のうらで頬をどつく!と言っても、それを本当に実行したら、順番を精査しなあかんし、ベルトをとったり、靴脱いだりで、今度は電車が遅れる!!つまり行いをただした人間が急いでる人にそいつが一番恨まれるというはめになる。だから誰も何も咎められない。

だから、みんな機嫌良く電車にのるために、ベンチに座って列に入らなかった待ち人は、最後尾にならぶべきだったのです。しかもスムーズに電車に入れるように2列で。

しかしこの列問題、じゃあベンチ座ってた側の倫理観だけの問題かというとそうでもない。最初から列を2列に出来ない列組にも問題があったのだ。どういうことかというと…。なんか長なるのでもうやめます。

2010年6月24日木曜日

父による「不思議なような、別にそうでもないような」話

父の話。ちょっと長いけど。

親父は警備員なのです。

 実家に帰るといろんなことを話してくれるんやけど、その中の「不思議なような、別にそうでもないような」な話。
 雨の日、いつものように警備していると、親父の目の前にハイヤーがとまり、そこから重役が出てきた、そして傘をさして、重役を濡れないようにしている運転手。親父もその重役も運転手もだいたい同じくらいの年齢だったそうです。その光景をみて親父は、「同じくらいの年齢でも傘をさす人、さされる人、いろんな立場がいるもんだ」という感慨にふけったそうです。

 仕事帰り。無料の駐輪所に自転車をとめていた親父は、自転車を出そうとしていたんですね。ところが、その日の駐輪場は混んでいて、自転車をだすのが一苦労だったそうです。で、丁度屋根もないところに自転車をとめていたみたいで、雨は降っているけど、自転車をそこから出すことが先決だってことで、傘を閉じて、自転車をだそうとしていたそうです。それでとりかかろうとしたら、ふと雨が体にかかっていないことに気づきました。不思議に思い、顔をあげると、なんと女の子が傘をさしてくれていたそうです。親父は、「ああそうか、この娘は隣の自転車なんだな、待っている間、傘をさしてくれるなんていい娘だな。早く自転車を出そう」と思ったそうです。
 で、「ありがとう。君はどこに自転車とめているの」と聞いたそうです。そうすると、「いえ、私は自転車はどこにもとめてないです」と言われたそうです。

!!!!

 親父はいろいろ考えたそうです。いくら親切な娘といえど、おかしくないか、見ず知らずの人間に労を惜しんで傘をさしだすなんて。変な商売の人ではないか。でもどれも違うような気がするそうです。それで自転車を取り出した親父は、「ありがとう」と礼をいってそそくさと帰ってきたらしいです。親父が立ち去るまでの間、その子は見送ってくれたとのこと。幽霊の類いでも絶対ないそうです。
 傘にまつわる2つの出来事を同日に体験した親父はとても不思議がっていました。こんなんあるか?としつこく言ってきました。妹も母も同じ話をされていました。2つの出来事がリンクしていることが特に不思議だったそうです。これがフィクションならその娘は運転手の娘(もしくは重役の娘)ですよね。現実はなんなんやろ。親父はモテキなんですかね。それとももう少ししたらその子に壷とか買わされるんでしょうか。圧倒的後者ですね。徳日家は貧乏になりますが、親父の選択ならそれもまたよしです。

2010年6月20日日曜日

みつばちの羽音と地球の回転

みつばちの羽音と地球の回転 http://888earth.net/index.htmlを一足早く見ました。
監督 鎌仲ひとみ 

生活(祝島)対 社会(中部電力)

 こういう構図だったと思う。この構図を成立させているのは、祝島の生活(映像)、さらには生活が大事なんだ、という島の人の想い(コメント)を撮り(録り)きった鎌仲さんの描写力だと思う。映画では持続可能なエネルギーというのが、いかに実現可能なものかを立証するためにスウェーデンまで行き、祝島の人の活動を後押しする。つまり監督は、中立的にこの対決を撮るのではなく、祝島の活動の味方なんですね。このスタンスがあるが故に引き出せた島民の表情があるんです。ああ、これぞドキュメンタリーだなと思いました。

 でも思いきってスウェーデンパートが無い方(僕が一度寝てしまっただけですが…)が、いびつなエネルギーが炸裂した美しい映画になったと思います。偉そうですが…。

 「持続可能なエネルギーを選択する」という映画の主題を僕の生活レベルで実感出来るまで、おいそれと、「原子力や石油から自然エネルギーに乗り換えるべきだ!」ということは言えません。それでもこの映画はいろいろなことを教えてくれます。風力発電の巨大プロペラって4日で設立できるそうですよ。

で、この映画6月23日京都精華大学 18時半から黎明101で見れます。京都初公開です。監督も来訪されるそうです。ドキュメンタリーはこういう問題に興味の無い人が見て、「ああやっぱり、どうでもええわ」とか「お、ちょっと考えさせれた」とか思ってもらうのが、本望だと思うんです。内輪で褒め合っててもねぇ。ですんで、恋や夏フェスやAKB48に忙しい学生さんも、是非見てね。

上映の詳細以下

 長編ドキュメンタリー映画

『ミツバチの羽音と地球の回転』
   
グループ現代・制作、鎌仲ひとみ監督作品、2010年
上映 + 監督トーク・交流会

2010年6月23日(水) 17:45開場 18:00開始
           上映時間135分 トークは20:30頃から
           質疑応答もあり。

トークと質疑の部は、Ustream中継も準備中
(うまく行ったら、ご喝采)

 場所: 京都精華大学 黎明館(れいめいかん)L-101番教室
     http://www.kyoto-seika.ac.jp/access/

 入場無料(カンパ歓迎)

     (鎌仲監督の関連作品の展示・販売もあります。)

主催: 京都精華大学 環境教育指導者養成プログラム
共催: 京都精華大学 プロジェクトじんぶん(連続シリーズ #4)

2010年6月16日水曜日

まぁ映像についてかな

アジアプレスから頂いたドキュメンタリー

『北朝鮮に帰ったジュナ』拝観。

 良いドキュメンタリーだった。丁寧なタッチ。誰が見てもちゃんとある種の情報を受け取ることが出来るとてもしっかりしたドキュメンタリ。ドキュメンタリならではの偶然のドラマもある。カメラも良かった。
 ただ、これじゃ届かない社会や、これじゃ射抜けない生活者のハートがある、とも思った。欲張りすぎなのかな。もっとジュナさんの心情に寄り添いたかった。ご飯食べてるところとか、寝ているところとか、TVをぼんやり見ているところだとか、構成は弛んでしまうけど、1シーン入れて欲しかった。切実に入れて欲しかった。ジュナさんとて過去を語るだけの生き物ではない。それがあったら最後の海が余計いい。これを見て自分が大事にしている部分がおぼろげにわかったかもしれない。

 今日、過去に自分が学生時代に作ったなつかしの映画『ライク ア ローリングストーンズ』を、S先生が授業で学生に見せたそうだ(!)で、授業これないかともいわれたけど、急過ぎて授業にはいけなかった。ただ久々に思い出の引き出しを開けられた気になり、あの映画を見直したくなった。なんとも恥ずかしい心情を扱った映画であるし、実際見たら恥ずかしくなるんやろうけど、自分の意思で恥ずかしい心情を扱いたかったのだし、スタッフみんなそれを共有してくれたのだから、恥ずかしいことに堂々としてればいいかなと思う。逆にもっと恥ずかしくしても良かったな。

 今日はここまで。蚊に足の指かまれた。

 じゃ。

2010年6月8日火曜日

『母なる証明』

『母なる証明』 ポンジュノ

 映画はサスペンス映画としての駄目な部分を補ってあまりある人間ドラマといった感じ。この映画の気持ち悪さってお母さんの気持ち悪さで、綺麗事で語られる母性と対になって存在するもんだと思う。そもそも綺麗事で語られる母性を体現するには、これくらいの気持ち悪さがないと無理なんやな。うまくいろいろ書こうと思いましたが、どうも思いが頭の中でいったりきたりなのでこの辺で。あと一つだけ。映画はすごく巧かった。テーマを監督が俯瞰で見れてる証拠だと感じた。時間をかけて噛み砕いてる。

 矢沢永吉と糸井さんのお金についての対談も面白かった。これも言葉がいまいちまとまらない。けど、自分にとって怒ることと捨てることがほんとに重要やなと感じた。僕はまだまだ。

恒例リンクシリーズ。読んでみて。

編集技法

http://ws09edit1.blog22.fc2.com/

2010年6月6日日曜日

不良と映画

えー久々に映画の感想を書きます。

興奮したんです。最近デザインの本ばっかよんでて、デザイン脳になってました。デザインは包括的なんです。器がすごく広い。映画はなんて社会のことを考えてないんだ!と思ってました。馬鹿だ、映画は人間でいうと偏差値が低いやつだと思ってました。つまり不良だ。

というわけで最近映画全然みてなかったんやけど、ちょっと見たい映画がレンタルされはじめたので立て続けに見ました。

まず「ヴィヨンの妻」監督 根岸吉太郎

 太宰治原作です。日本映画として上質で、見心地がとても滑らかで気持ち良かった。こういう映画を作れる人が職人と呼ばれるのだろうなと思いました。そう思ったのにはいくつか原因が。俳優の行動を写すカメラにカメラ独自の意図があったこと。シナリオの起伏に流されることなく、カメラが全体の物語を考えて、引くときは引き、寄り添うとこは寄り添うといったカメラワークをしていたように思える。カメラがすんごい上品やった。あと松たか子。めちゃ巧い。俳優がどういう計算のもと演技をするのかよくわからんけど、丁度いいと僕は感じた。そういう演技ってあんまりない。全体として、上品な映画世界に贅沢に浸れるなーという気分になった。

 というかこの映画の上品な見心地をより正確にひも解くには、もっと古典の日本映画を見ないとあかんね。市川崑あたりの文芸作品を。

今回の作品なんとTV局がスポンサーなんですよ。それなのに、古典を見てるような気分が味わえた。TV屋さんと映画屋さんが仲良くしている感じ。こういう仕事のワークフローって財産やと思います。

次、韓国映画『母なる証明』監督 ポンジュノ

しんどいので今度書きます。この作品すごかった。不良は人間的に時として魅力的です。

以下は映画のシナリオを作る授業。脚本は緻密な設計図。そうか映画は不良やけど頭は悪くないかもしれない。是非読んでみてください。
http://ws09shinarioeiga.blog35.fc2.com/

2010年6月5日土曜日

名残夏

縁があり、一受講生として参加した授業が終了しました。

他校生あり、社会人ありの雑種な人達の集まりながら、不思議な一体感があって居心地良かったです。いや、もしかしたら多種多様だから良い感じの一体感が出たのかもしれませんね。終わってしまうのがもったいないような、名残惜しい気分になりました。

授業で感じたことは、いいおだしがでるまでぐつぐつ煮込みます。

もうコンロに火はかけました。

2010年6月2日水曜日

名前をつけてやる

http://ws09presen.blog54.fc2.com/

この記事読んでから自分の名前を何回も書いてみました。すごく難しい。綺麗にかけない。
『徳日俊聡』フォントだとおさまりいいんだけど、手書きだと統一感を出すのが難しい。俊が以外と難しい。

2010年6月1日火曜日

農的くらし

個別にリンクしてみようかな。

農業です。

http://ws09noutekikurasi.blog22.fc2.com/

読んでみて下さい。学生が撮った写真もなかなか綺麗です。

2010年5月29日土曜日

webサイト

http://ws09.web.fc2.com/

コメント書いて。
いや、まぁそれは次の段階でいいや。まず記事を読んで楽しんでください。

特にこれみてる学生さんたち。読んでみてね。

僕はこのサイトに愛着があります。このサイトのお母さんだと思っています。ちなみにお父さんは複数いる。このサイト、今幼稚園ですが、もう少しで小学校にあがります。お父さんたちも今小学生になる準備のためにランドセルかってあげたり、ひらがな教えたりしています。皆に愛されて育って欲しいもんです。

2010年5月27日木曜日

箇条書き

・繁忙期と半勃起って似ている。

・希崎ジェシカさんは最高のAV女優さんだ。世界に誇れる。

・くるりのアルバム抜群に良かった。「君を犯すための言い訳考える」、とかいう歌詞がある。すごいぞ、くるり。よくゆるいなどという形容詞で語られるが、くるりはむき出しで音楽やってると思う。脳みそや心のゆとりのための音楽なんか、決して作っていない。



自分で読んでみて、この歌詞の過激さだけを取り上げるのもなんだなと思い少し追記します。この歌詞は、すごく美しい『ricochet』という曲の一節なんですけど、この曲は人を想うことを切実に歌い上げた男らしい曲だと僕は思っています。「君を犯すための言い訳考える」なんてどこが男らしいのよ!と思う人もいるかもしれませんが、そういう方は是非アルバムを購入してこの曲を聞いて欲しいと思います。ただもし気を悪くした人がいたらすいません。



・半島情勢が不安定で、仲良くするだけやのに難しいなーと思う。難しく考えすぎてるんちゃうかと思う。でもそうなってしまっているなら、難しいからいといって考えることを諦めずに、例え難しくても仲良くなる道を模索して欲しい。

以下作りました。

http://www.youtube.com/watch?v=cS6d1TL3XKc&feature=player_embedded

またライブ撮影の仕事したいです。ダンスも撮ってみたい。関係各位如何でしょう?

2010年5月25日火曜日

夢が出来た

http://www.sonihouse.net/menu/

最近知り合いになった方が作られてる手作りスピーカー。6万で買えるものがある。見るからに素敵な音が鳴りそうだ。素敵な音で、くるりを聞いたり、AKB48を聞いたり、ベートーベンを聞いたり、ペイブメントを聞いたりしたい。母の店にも置いてあげたい。編集用のモニタースピーカーにもしたい。本当に夢が膨らむ。まだ買えませんが、いつか。

2010年5月23日日曜日

映像編集

李さんのDVDを撮影以外すべて自分で作りました。

分業の必要性を感じました。でも1からやることでとても勉強にもなりました。様々なところが未熟なDVDではあります。時間があまりなかったのもあるけど、曲によって音量が様々で、あとパッケージデザインがね、ははは。ただ丁寧に作りました、愛着と一定の手応えはあります。まぁファンの皆さんの反応が楽しみなところ。

空中ループワークスも大詰め。というか空中ループサイドからはOKをもらったので、お披露目をまつばかり。

どちらも非日常な特殊な場の空気が表現出来ていればと思います。

ライブ映像編集な週末。目が痛い。

2010年5月20日木曜日

植林

読書会用メモ

さっと読んだ感想

植林

(ラストを読む前)

 何もここまで、と目を覆ってしまいたくなるくらい救いがない。女がモンスターへと変わってしまうまでの筆致が、容赦なく、断言的で、「容姿に自身が無い=コンプレックスを肥大化させる」という主人公が陥る図式を読者に植え込ませる力が凄い。
 ただ少し俯瞰して見ると、容姿に自身がない人を甘い言葉で肯定させる社会(ちょっと安易に書くけど、ひとりじゃないよとか、いつも一緒にいるよとかっていう言葉が反乱している社会)において、容姿に自身がない人が、堂々と恨み妬みそねみを言うのは、タブーとされているような雰囲気がある。せいぜい、お笑い番組の女芸人たちが発する、かわいい毒が関の山。(本の感想に引き寄せた言い回しで書くけど)それは機能としては大衆への迎合。そういった社会において、この主人公のように容姿故にリアルに世界を恨み、醜い心をもっている女を堂々と描くのは、社会に存在する目に見えない空気へのアンチテーゼのように思える。つまり主人公は社会の暗黙の道徳をぶちこわすための壊し屋というか。

(ラストを読んでから)

 と、まぁここまでは、僕がよく陥りがちな思考。でも最後の最後にこういう引いた目でみるような思考を一蹴するような描写が待ち構えている。結果、もうこの主人公はただただ怖すぎる、というアホのような感想しかもてなくなった。主人公の前では社会との接点的な安易な考え自体がもはや弱すぎる。そんなもんで主人公の中にいるモンスターはひっとつも微動だにせん。この文庫本を角川ホラー文庫にしたい。

2010年5月18日火曜日

妥協 共有 木春菊 7千万

難しい言葉。

 中学のとき、たまに「お前難しい言葉言うなやー」と言われました。妥協とかがあかんかったと思う。そうか。言葉は明瞭な方が良いな、そりゃ。なんで思いだしたんやろ。大人になって共有って言葉よく使うなーと思って。子供の時は全然使わんかったのに。共有ほんまによく使うなー。いらん、共有。いや、いるか、うん、いるわ。使うわ。でもいらん気持ちもちょっとある。共有といえば、ファイル共有ソフト、ドロップボックスというフリーソフトは凄いです。ここまで来たら妥協ソフトを作成するのはどうだろう。A案とB案を妥協ソフトの中に入れる。すると妥協案が自動で出来上がるのだ。

 全然関係ないけどマーガレットの和名は木春菊。あまりつかわれないとのこと。そりゃそうだ。マーガレットは可憐だけど、木春菊はもはや春菊サイドで、鍋の具。木やからイメージはしかも固い。固い鍋の具。

これも全然関係ないけど友人が西成でおっさんに7千万あげると言われたそうです。

※最後まで書いて春菊をウィキったら、春菊の花も可憐でした。まぁキク科だからね。花ってさ、暗い場所だと花びらを上に押し上げるよね。重力を受けないようするために。光合成できないから、エネルギーを使いたくないんですね。なかなか偉い。

2010年5月16日日曜日

ほぼトマト的濃さ

http://blog.kuuchuuloop.net/

 このギフトキャンペーンのライブ映像撮りました。まだ1曲編集出来てません。来週には違った形で告知できると思います。空中ループファンの皆様ご贔屓にしてください!

 よろしくお願いします!

 濃い週末でした。

「トマトジュース飲もうと思ってたけど、もうほぼこれトマトやん」的な濃さとでもいいましょうか。

 まぁ今からは漫画でも読みながらゆっくりお茶でも飲みます。

2010年5月15日土曜日

リバーサイドホテル

 でもないけど、駅中のホテルで開催された入試のイベントは無事?終了したようです。そこで他学部が制作している卒業制作冊子を初めて見る。内容は門外漢なのでようわからんけど、今年度のパッケージのクオリティはものすごく高かった。高校生用の展示も力作揃い。

 今回入試イベント用に制作したパネルは、少ない日数ながら効率よく出来たと思う。効率よく出来ると嬉しい。映像はあと1日欲しかった。もっと良い方法があったような気がする。それにしても制作物がさほどない人文学部は何をどう魅せれば、高校生は食いつくんやろうね。論文の朗読とか。

 もろもろ大変だったけど、設置を手伝ってくれた日本画の学生さんがかわいかったのでまぁいいや。癒された。

2010年5月11日火曜日

ボスと語らう

ボスと話をする。

マリの特殊な文化の話をいくつか聞く。

 マリの文化では制度として他者を介入させることで、民族間同士の対立を防いでいたそうです。例えば、夫婦が喧嘩しても、直接話しをするんじゃなくて、代弁する語り部のような人がいて、必ずをその人を通して話をしていたそうです。音楽なんかも語り部として代々受け継がれている家系のものしか奏でることを許されていないらしく、現在でも基本的にはそうらしいです。
 また、いくつかの名字同士の間で、従属的連帯制度のようなものがあって(かなり昔にどういうわけか形成されたそうです)、その名字なら例え知らない人同士でも助け合ったりするのが当たり前だそうです。ボスは先日行ったフランスで知らない人におごってもらい、妙に親しくされたので、気になって名字を聞いたら、その従属的連帯のある名字のマリ人だったそうです。民族同士の対立が深刻なアフリカ大陸において、マリが比較的そういった対立を起こすことが少なかったのはそのためだとか。

 あとマリはフランスの植民地として近代的な合理主義を受け入れ、一方で非合理な伝統的な制度を継続させているそうです。近代的な教育を受けて、現在アメリカの企業で女社長としてばりばり仕事をやっている人が、マリでは第二婦人とか。そういうことが普通にあるそうです。自意識がこんがらがらんのかなーと思うけど、ボス曰く、割とそこはきっぱりと分けているとのこと。

 その後話は変わり、日本はどうも国際社会に成りきれていないという話になって、自分が体験したある例を語ってくれた。それを聞く限り確かに国際社会にはまだ遠いなーと思う。

2010年5月7日金曜日

くにゃん嫌

 僕の一人暮らしの風呂場には、ふわふわした体洗うタオルをタオル掛けにかけて壁に貼付けてるわけさ。

 いつ見てもそれが落ちてる!いつ見ても壁からタオル掛けが落ちている。あのペタンとするやつがよわい。弱すぎる。嫌や。ふわふわタオルがいつみても浴槽に「くにゃん」となってる。くにゃんが、嫌や。

 ペタンとするやつは、もうちょっとがんばってくれ!たのむ!

2010年5月6日木曜日

ホテル

 昔派遣でホテルの配膳のバイトをしてたとき、16歳の中卒の少年と一緒に働いたことがある。漫画が好きな少年で、少年と仕事そっちのけで漫画の話をした。割となついてくれたのを覚えている。
 その子の働いてる会社(建築現場で『洗い』とよばれる部署を担当していて、たまに配膳などもやる)は、笑ってしまうくらい体育会系な家族経営の会社だった。あるとき「少年は休みがちで、モチベーションが低いから仕事もなかなか覚えへん」といったようなことを、彼の上司らしき青年(といっても20歳前後)から聞かされたような気がする。
 少年は毎日おもんないと言ってた。ただ俺が社長になったらお前を雇ってやるとも言っていた。

 今頃なにやってるのかねー。元気で、かわいい娘とsexでもしていたらええのに。

 入試関連の仕事でホテルに行ったので思い出しました。

2010年5月5日水曜日

アホばっかり

 アホの後輩の悩みを聞いたり、アホの妹が買ってきたsweetっていうアホな雑誌を読んで、全員アホみたいにかわいいと思ったり、アホの犬がヘルニアやというので動物病院いったり、アホなDVD見たり、アホのPと、2次会どうしよう会議をしたり、アホな男3人とハイキングにいったり、とアホ三昧なGWでした。

 アホなもんばっかりくってちょっと太りました。

 あと、これをすごく思ったのだ!

 平子理沙って人の魅力は俺にはわからん。滝川クリステルの魅力はわかる。

2010年4月29日木曜日

エリカの旦那。

初チャリ通。いやー、迷いに迷った。ほんとに泣きそうになった。悲しい。

あと何さんやっけ。沢尻エリカの旦那さん。すましてないで、TVの前で泣いて欲しい。「なんでやねん?」て。これは全然卑下してるんじゃない。むしろ逆です。

もうちょい書きます。

 旦那さんは高城剛さんて名前っすね。ブログもはじめて見ました。陰謀論的な書き方でした。確かに陰謀もあるかもしれないし、妻であるエリカのやっていることは不誠実かもしれない。うん、それは確かにそうかもしれない。でも、それをね、正論で返しても。そんな正論誰が聞きたいんですか。「そうだ、高城さん!」と言ってくれる人の支持を得て、本当に満足なのか。自分の心の非常事態じゃないですか。しかもクリエーターやろ。心の非常事態を正論で押さえ込んでええんかいな。それとも本当にそういう正論がすべて高城さんの心の中にあるものなのか。

 どうせ書くなら、錯乱してアドビのCS5ではなくCS2をインストールしてしまいました、くらいのことブログで書いたらどうやねん。

2010年4月27日火曜日

密陽 アリラン

母の店での李政美さんのライブ終了


http://www.youtube.com/watch?v=W3HzW3DbAMc&feature=related


 この曲がかっこよかった。とてもかっこいい曲やのに音質が良い形でyoutubeにあがってないのはもったいない。音もそれなりにちゃんととったので、整音してyoutubeにアップしたいと思います。この曲はどことなく南米のフォルクローレのような雰囲気があると思いました。

 さっそく我が大学で民族音楽全集を借りよう。

2010年4月24日土曜日

お、旧ブログ

あ、なんか前のブログにログイン出来た。

じゃあこっち。

というか前田先生のmixiの日記でめちゃくちゃ考えさせられている。なんか1時間くらい本気で考えてしまった。それは勝ち負けについてです。菊地成孔さんが言ってたけど、

「勝ち負けが世界を支配していると言うのは間違いではありません。問題は、勝利がどこにあるか、敗北がどこにあるか深く知る事です」とのこと。深くが大事だ。「深く」というからには深さを感じる時間と空間がいる。これをちゃんとしなきゃあかん。

みかん大量に腐らせちゃってほんと凹む。かなり絶望的な気分だ!だからもう日記はこれにて終わり。

会って話そう、会える人たち。

2010年4月6日火曜日

spring TVshow

今日のリンカーンもロンハーも良かった。

 バラエティーに比べてドラマやドキュメンタリーは、舞台や映画にひっぱられてTVというメディアの中で、独自の進歩を遂げることができなかった、と『誰も知らない』の監督などで有名な是枝氏はなんかの番組で言っておられた。TVドキュメンタリーディレクターでもある氏は羨ましいとも言っておられた。

納得。

ネットで春は身体と大気の境界線がぼやけるみたいで、気持ちがよいとの文章を読んだ。うまいこと言うもんや。

納得。

昨日の動画は地味ですけど、僕は好きです。動きがデジタルっぽくないからです。

闇に蠢く



簡単な動画。
光が生き物のように動いてみせる。

2010年4月2日金曜日

音楽

 僕らの音楽見ました。恋するカレンをサリュが歌ったり、元憂歌団の木村さんがyuiのチェリーを歌ったり、TVでは見れないような曲や演奏でした。ベースのtokieさんも最高やった。

 音楽といえば、空中ループの下記のようなイベントを撮影します。皆さん来てください。まだわかりませんが、うまいこといけば、このライブの様子がどこかでパッケージ化されるかもしれません。というかそれ目標にかっちょいい撮影が出来ればいいです。

 空中ループも気合い入ってると思います。

http://www.kuuchuuloop.net/ 

 

2010年4月1日木曜日

パッケージ

 例えば、ミニッツメイドとバイヤリース(1000ml)やったら、ミニッツメイドの方がお洒落なんすよ。伊藤園の充実野菜とカゴメの野菜生活やったらカゴメの野菜生活の方がお洒落。まだある。ブルガリアヨーグルトとビヒダスヨーグルトやったら、ブルガリアの方がお洒落。これって微妙なニュアンスな差ながら僕以外でもそう思う人は割と多いのでは?

 この違いが生まれるのって不思議や。つぶさに観察すると、ポイントはグラデーションのかけかたと、立体感やなと、なんとなく感じる。ではなんでそういったグラデーションや立体感をほどこすと、お洒落に感じるかは謎。いや謎ではないな、古いデザインは古くさい既見感があるんやろうね。鮮烈なデザインには、鮮烈な既見感が脳の片隅にある気がする。それは普段どこかで目にしてて、記憶には留めていないレベルの(お洒落と吹聴されている)デザイン。ただあるとき、こういうパッケージを通じて、脳の情報が呼び出され、そのものをお洒落やと感じる。二段階右折みたいなもんです。たぶん。
 ただもう一つの視点として、野菜や果物をグラフィックで立体感をつけて描けるようになったのが、ここ10年くらいのことやと思うので、実際目新しいの確かなんかも。

 定番商品のパッケージデザインなんか、どの企業もマイナーチェンジを繰り返して、現在に至ってる(おもってる以上に頻繁にマイナーチェンジする)から、そのマイナーチェンジ毎に最新の色使いやデザインに気を配り創意工夫を行っているところがやはり良いデザインになっていくのでしょうか。

 まぁ味は伊藤園なんかすごくおいしいと思うので、パッケージで損してるのでは?と思う。しかしカゴメのちゃらちゃらした感じではなく、伊藤園は落ち着いた感じを演出したいという狙いもありそうなので、鮮烈なデザインが良いとは一概に言えないけど。

2010年3月31日水曜日

辞める

朝行ってたバイトを辞める。

 小銭を稼ぐバイトと割り切りやっていた、それでも辞めるとなると一抹の寂しさが心に湧いてくる。不思議だ。臭い釜の飯を共に食べた戦友や、恋情を募らせる思い人がいるわけでもない、それどころか同世代すらほとんどいない現場だったのに。不思議に寂しい。

スタッフの皆さん、今までやさしくしてくれてありがとうございました。

2010年3月30日火曜日

チョッパー



photshop練習 桜の季節に雪なのでアレンジしてみました。つまりチョッパーですね。

『パコと魔法の絵本』良かったです。

 

2010年3月27日土曜日

電力と郊外



これ実際みたらすごくでかい。電力消費量と郊外の寂しさが打ち消し合って調和。

前回のブログの母の店に簡単な地図を載せました。

2010年3月24日水曜日

ライブ告知

 うちの母の店が李政美さんという歌い手さんを招いてライブをするそうです。

 なんでもやりますね。といっても母は無知なので、李さんのファンの方が全部しきってやってくれるそうです。他力本願。李さんという方は僕も詳しくは知らないでのすが、いわゆる朝鮮の民族音楽などだけではなく、クラシック上がり(という言葉が適切かどうかはしりませんが)の美しい声で、世界各国のルーツミュージックを歌い上げる方だそうです。なんでも山尾三省(!)の詩をとりあげて有名になったとか。精華大っぽい。

 詳しくはウェキペディアやHPで。

 HP: http://leejeongmi.com/
wiki: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%94%BF%E7%BE%8E

 宣伝しろ、と言われたのでやります。



 4月24日 18:00〜20:00
 
 3000円 

 場所:韓国料理屋まる 577-0843 東大阪市荒川3-26-5(JR俊徳道から徒歩五分)
 電話番号 06-6724-2345

 HP見ると李さん自身は民族活動にも積極的に参加されている方で、ファンの方もおそらくそういった活動の良き理解者である人が多いと思うのですが、僕はむしろ、そういったことを全く知らない人達が、美しい音楽の調べに身を委ねて、そこで生まれる豊かな時間を共有できれば意義深いなぁと思っています。というか音楽なんかどんな背景があっても、どんなに高尚な思想に裏付けれられていてもたかが音楽で、だからこそ素晴らしいのだと個人的に思います。いいのかな、こんなこと言って。怒られんかな、まぁいいや。

 当日は撮影しようと思います。

2010年3月22日月曜日

休日

 隣にかわいこちゃんが引っ越してきて、かわいい菓子折りくれました。ありがとう。俺引っ越してきたとき、そういうのなーんもやらなくて、偉いなーと思いました。かわいこちゃんやから、5割ましで思いました。

 そうそうパノラマ島奇譚という江戸川乱歩の小説読んでます。まだ冒頭やけど、島好きのM先生にはたまらん話かと思います。変な話だ、ほんと。あとこの小説はいくつかモチーフになった海外の小説があって、モチーフになっているってことを小説でうまい具合に発表しているのですね。狡いね、乱歩さん。ただどうやらその海外の小説に影響をうけた結果、それを踏まえつつとんでもない話になっていくような気がする。入れ子構造です。今風にいうとサンプリング芸術になるんかね。

 冒頭だけやからなんともやけど、ストーリーは、海外小説に影響を受けている主人公に、その小説のようなことが出来る状況が生まれ、自分がかねてからやりたかったこと(島をつくる)、つまり海外小説で描かれているようなことをやりはじめるっていう小説。
 
 海外小説の影響がこれから小説上で意識的に描かれるかどうかはわからんけど、冒頭よんで、これって今で言うところの(上手な)サンプリングの考え方に近いなと思ったので、ちょっとメモとして残しておきます。

 ナインもみたけど、とりあえず、ペネロペが凄すぎて、絶句した。あの人ほんまに女優の天才や。あとニコールキッドマンがこの世のものとは思えない美しさやった。とても細かいところやけど、ニコールキッドマが6歳ぐらいの男の子にキスをするとき、ニコール寸止めやねん。ちゃんと唇重ねてないねんな。信じられんくらい美しいけど、なんかお母さんの感覚やな、と思いました。これは女優を見る映画だと言い切って良いんじゃないでしょうか。

2010年3月20日土曜日

卒業ですね


練習で作った。教則本のイラスト。

明日大学の卒業式っすね。4回生たぶん、これ見てる人いるよね。

行けないのです。ごめんちゃい。

達者で!!!!!またどっかで会いましょう!!!!!

イエモンのプライマルをフラワーカンパニーズが歌っているバージョンを卒業のはなむけに捧げますが、君らはもう大人なので、興味あるならかってにググったり、youtubeみたりするといいさ。

そんな親切にリンクすると思ったら大間違いだ。大人を甘く見るんじゃない!!!

これからの旅路に幸多からんことを。

番頭さーーーん

 イエモンのトリビュートではburnとsparkが好きやった。
 
 いつもいく銭湯の番頭さんは割と歳をとった女の人(推定45)で、いっつも疲れてる感じがする。でも嫌な感じの「疲れた雰囲気」じゃなくて、なんかぐっとくる「疲れた雰囲気」なんです。番頭さん、疲れててもいいですよ。むしろ疲れていましょう。元気なんてぶっ飛ばしましょう。という気持ちになる。番頭さんの疲れた顔、ちょっと感じ悪いなーって言う人もいるかもしれませんが、なんか全然嫌な気分にならない人もいますよ、と絶対このブログを見ていない番頭さんに向けて良くわからんメッセージを書いてみる。

番頭さーーーん。

 

2010年3月18日木曜日

イラストレーター修行

http://quasimode.jp/

 この人達のライブに行く。しかも夜10時開催、サタデーナイト。お洒落野郎やお洒落お嬢達が集結するに違いない。でもこの人達のライブ年齢層が読めない。まぁめったにないので1年分くらい調子にのろう。お酒はビールじゃなくてウィスキーにしよう。

 イラストレーターの勉強をしている。本にのってあることを忠実にやってみているのだけれど、ええーこんなよくわからん技術をあっさり紹介すんなよ、と思う。[コントロール+D]というショートカットキーが凄い。前回やった動作をそっくりそのまま繰り返してコピーするというやつ。あとoption+shiftもびっくりした。
 次練習するところのやつはちょいと楽しいのでブログに載せてみよう。今回のは地味。

 今日作ったのなんかwebの無料素材集にいくらでもあるやつなので、手作りする意味なんてないのかも。ただ、そんなものでも作るのには創意工夫が必要だったので、たまには何から何まで手作りするっていうのもいい。ブログの壁紙などを作ってる素人イラレ使いの人達の苦労と楽しさが身にしみる。

2010年3月17日水曜日

鼻血

 朝から鼻血出る。悲しみにくれる。

 昨日ちょっとややこしいことがあったからか。それでちょっと考えすぎてもうたらか。もうええわ。がんがるぞー!!!

流行れ!がんがるぞー(がんがんするぞー)って言葉。
 

2010年3月11日木曜日

達郎


http://www.youtube.com/watch?v=ChqpgaZlSJA


蒼氓という曲。アホほどええ曲。

 アーバンソールミュージックなんつうのはクラブ文化世代の若者の間で大流行りらしいが、達郎が先駆じゃないっすか。意匠の古くささなんて一切ない。ほりけんでいうところの胸にジュンジュワー。

嫁竹内まりや。綺麗な人やねん、これが。じゅんじゅわー。

 あとドラクエ9ですね。DSでドラクエ4、5とやってきた。ドラクエ好きはファンならではの一家言が9にはあるみたいやけど、僕はロープレの夢がめっちゃつまってると思った。ギャルに抵抗ないので、妖精も全然OK!むしろやりよったと思ってにやにやしている。鎧が目に見えて変化するって、聖闘士星矢みたいで大好き。聖闘士星矢は鎧で強さが目にみえてわかるってのが子供心にめちゃくちゃわくわくしたのです。

もう完全に見事に日常生活に支障が出てる。順樹輪ー。

2010年3月7日日曜日

ママちゃん



居酒屋で飲みに行った後のママ上様です。

まぁということなんで楽しみましょう。

 あんま関係ないけど、ビーチボーイズからの流れで、最近は山下達郎をよく聞いてます。ほぼ達郎しか聞いてない。まさかこんなに自分が達郎好きなんだなんて。ライブあったら絶対いこ。

2010年3月4日木曜日

装い変更

 ちょっと装い変えてみました。

 フォトショップの勉強という名のお遊びをしていたら、スクリーントーンのような効果があったので素材をいろいろといじる。

2010年3月3日水曜日

まちーださん

 例えばある人が狂気を表現したいとする。その表現が狂気を表すことにおいていくらクオリティーが高くても、それを受け手側が狂気だと認識できてさえしまえば、狂気を表現しているとはいえ、もはやその表現は狂気とは言いがたく、その表現は凡庸に、下手をすれば寒々しいものと感じてしまう。そのくらい人の認識というのは残酷なものだと思う。すぐに飽きると言い換えてもいいのかもしれない。

 久々にまちーださんの詩集を読んだ。確実におかしい。おかしいし狂っている。だけど、じゃあ何が狂っていて、どこから狂っているのかと言われるとなんだかよくわからない。どこかわからん時点で何かが確実におかしくなっていると思うのだけど、正常な感覚とあくまで地続きなので、狂っている感覚が正常な気もするし、正常な感覚が狂っている気もしてくる。なんというか「狂気」と「普通」の間にある壁がどんどんなくなっていく感じ。グラデーションが双方に広がって行く感じがする。自分の持っている様々な「普通」の感覚が「ネタふり」にも「オチ」にもなっていて、おかしみの無限ループが起こり飽きが来ない。
 それだと普通の詩人でもみんなそうやがなというけど、まちーださんは文体や言語感覚が非常に突飛なんです。だけどそれでも、特殊な感性を駆使しなくちゃ反応できない難解なものではなく、「普通」の感覚にちゃんとフィットさせられる詩なのが凄い。

あ、うちーだ先生が考察したまちーださんのエッセイについては
http://blog.tatsuru.com/2008/04/11_1942.phpで読めます。

 僕はまた別のやつが読みたいと思い、未読だった小説『浄土』買いました。みなさんもまちーだものを是非お読み下さい。エッセイも詩も小説もいいです。

2010年2月27日土曜日

光 バレエ

 そういや、お蔵入り作品です。折角やし少し短くして、音楽(無料素材)も入れてお披露目します。簡単実験動画ではなく、これは作るの割と苦労しました。でもこれはプレミアで全部できたな。

 ダンス

 

せくしーにしてたから

 まおちゃん悔しくて仕方なかったんやろな。悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて仕方ない顔してた。そう言って欲しかったな。あとNHKのバンクーバー中継会場の装飾は変や。 

 この言い方だとちょいと語弊があるかな。ニュアンスも微妙なので追記。

 悔しくて仕方ないってちゃんと言って欲しかったってのは、インタビューで自分としては満足した的なことを言って、でもすぐあとにすんごい悔しそうな表情をしてたから。
 そりゃ当たり前に悔しいというほうが感情的に先立つでしょう。だからインタビューで真っ先に悔しいと子供のように言って欲しかった。ヨナに負けて悔しい!と言えばいいし、キムヨナは真央に勝って嬉しい!と言えば良い。メディアも二人の対決を煽るでもなく、無視するのでもなく、微妙な感じだったな。それが大人な報道姿勢ですか。いや、事情はわかるし、俺がディレクターでもそうせざるを得ない気はする。だからこそ、当事者が素直に感情を吐露すれば痛快やったんやけどな。そんで試合が終わって、しばらくたって(本当に友人なら)二人で飯とか行ければ、それでいいし。

 話題は変わり。

 少し前だけど、久々に見た学生の雰囲気がセクシーになっていた。そのこは女性の肉体美について自分の体で表現している芸術学部の子で、いわゆるエロと美的なエロスの違いについて関心がある人なのです。そういう子が自分の普段のファッションをセクシー(俺にはそう見えた)に着飾るってどういう美意識なんだろうか。たぶんあの子は服を選んだりすることに相当な自意識が働くはずだ。普段の創作で常に自分とエロに対する意識がフィードバックされるんだから。でもそういった自身の関心をコントロールし、セクシーなファッションを楽しんでいるのだとしたら、芸術家として頼もしく、男の俺からしたら大変嬉しく、言うことねーなと思ったのでした。
 最初みたときその子だと気づかなくて、あとから気づいたけど、ドキドキして声かけれなかったよ。

2010年2月24日水曜日

簡単実験動画2

簡単実験動画2

ノーマン・マクラレンのようなもんを作る。全然初期アニメーションじゃないけどね。テクノロジーの恩恵。

ちょいと工夫しました。こういう簡単な工夫は楽しい。また思いついたらつくります。

2010年2月23日火曜日

猫あたまごつん

 PCソフトは、ピンポイントの機能がよくわからんとものすごく萎える。ミスト見ました。怖かった、それに大きかった。動画は猫。この二匹はいつも一緒。すぐに頭ごつんとし合う。

 

2010年2月20日土曜日

少女潘琴の夢〜中国・出稼ぎ労働者の子供たち〜など

映像見れないときありますね。見れなかったら、こりずにまた覗きにきて欲しいです。

少女潘琴の夢〜中国・出稼ぎ労働者の子供たち〜 2004

 潘琴はもの静かな美少女でかいがいしく家族に奉仕している様が切なかった。この家族の父親よ、もっとしっかりしなさいよと思う。父親の駄目さ加減が妙にクローズアップされていた。作品としてはちょっと淡々としすぎている印象。家庭用ビデオカメラで撮られている映像なのに、音が聞きやすかった。良いマイクを使ったのかな、どちらにせよ、音の編集はめちゃくちゃ苦労しただろうな。ノイズをとるのが大変なんです。NHKのドキュメンタリーはなぜ、現代音楽風の不協和音的な音楽をよく使うのか。クールなシリアス感を出したいのかな。わかるけど、もはやマニュアルになってる気がしなくもない。

『映画の音楽』ミシェル・シオン

第三の男について

この本に書かれている第三の男のところを読んでから、映画をみた。

 DVDもっているし、割と本の中でページを割いてとりあげられていたのだけど、作品を見てからさらに本も読み直して、ああこの話題に興味関心ないわとようやくわかる。自分の無関心がわかるまでに時間がかかった。こうなってるよ!ていうものの先が知りたいみたいです。基本実学思考だからかな。

次はキューブリックのところでも読んでみよう。

簡単実験動画1

簡単実験動画1

2010年2月17日水曜日

猫ののび

猫ののび。ipod nanoで撮りました。昨日のやつも。簡単でいいですね。ブログへの張りつけもすんごい簡単。割と綺麗だし。

2010年2月16日火曜日

換気扇と電灯

どっちがどっちなんかたまにわからんくなる。

2010年2月15日月曜日

アレルギー

 なぜか鼻炎が悪化し、鼻呼吸が出来ず、あかんこれはつらすぎると思い病院へ。いろいろ調べた結果、地元で有名とされる耳鼻科へ行く。

 診断で
 
 「ああこれは薬でやられましたな」
 「え、薬ですか?」
 「そうですね、薬剤アレルギーです」
 「ええ?」
 「まぁ、ハウスダストもあるんやけど、ここまでひどくなってるのは、長年の市販薬の副作用で、鼻腔が縮小してるんですわ」
 「(・・・そんなもん販売していいんかいな)そうなんですか」
 「とりあえず、鼻腔綺麗にして、あとはレーザーで鼻焼きましょ」
 「レーザー・・・」

 レーザーで鼻を焼く前にいろいろ薬を処方してもらう。それ飲んだらだいぶとすっきり。久々の感覚。ああ酸素てええな、としみじみ思う。原始時代、猟りに出る人間がもし鼻呼吸できんかったら、たぶん直ぐ死ぬ。いざと言うときの身体の反射に差が出ると思うんです。いくらレーザーで焼いても完全に直ることはないとおもうし、レーザーで鼻焼くのは怖いけど、酸素を優先したい。

 腹くくった。レーザーかかってこい。

2010年2月13日土曜日

そして僕は日本で生まれ育った〜在日コリアン・家族の100年〜

 お世話になっているフリージャーナリスト団体アジアプレスから、ある縁でアジアプレス制作のドキュメンタリーDVDを送っていただきました。坂本さん、玉本さんありがとうございます。

早速一つ見る。感想。

そして僕は日本で生まれ育った〜在日コリアン・家族の100年〜(2006 NHK/アジアプレス制作)
 
 別にお知り合いの方の制作だから贔屓して見るつもりはないけど、この作品はおもしろい。在日の100年史が網羅できるだけでなく、主人公の在日韓国人のTVディレクターのキャラクターが非常に際立っていて、TVドキュメンタリーとして非常に優れていると感じました。正確にいうと尻上がりにおもしろくなってきました。
 
 内容です。

 主人公が在日のアイデンティティーを探しに、故郷に行ったり、日本社会で生きている様々な在日の人に会いに行ったりして行く中で、日本と朝鮮の歴史的な事実も盛り込んで行く(この歴史的な事実では、在日韓国人の僕も知らないことばっかりで勉強になった)で一番面白かったのが、この主人公。とにかく自分が在日韓国人ていうことにアイデンティティーがあるんですね。出会った在日にもとりあえずこの質問をする。

「あなたにとって在日とはなんですか?」

主人公の家族も、なんで主人公がそこまで在日韓国人にこだわるのかがよくわからない。主人公自身もよくわからない(なのでこの作品を通じて探す)

 僕は正直、その質問は映像従事者としてあまりにも短絡すぎやろ、と思いました。どう落としどころを用意するんだろうと。そしたら最後に主人公はこう言います。

「在日とは僕自身やから、こだわるしかない」と結論のようなもんを言います。

 それを聞いて、極端に言いますが、いやいやいやいやいやいや、そんなんもう、俺は犬やから犬にこだわる。俺は西表大山猫やから西表大山猫にこだわる、俺はナメック星人やからナメック星人にこだわるというてるようなもんやん。でも犬が犬であるということにこだわりますか?犬は犬であるがゆえに、犬であるということにはこだわらんでしょ。なぜなら犬やから。たしかに主人公が在日にこだわる(こだわらせてしまう)個人の背景や社会的な歴史を散々説明する。でも映像の結論として在日が在日であるという理由で、在日としてのアイデンティティーにこだわるなんて答えは駄目でしょ。このように思いました。

 でもそれを聞いた、主人公の高校生の娘が言います。

「まぁこだわる人はこだわればいいし、こだわらん人はこだわらんでいいんじゃない」お父さんは娘もなかなか言いよんな的表情。そうだ娘、もっと言え、と僕は思いました。

 そして最後の最後に家族を写している撮影クルーが見えるところまでカメラはひきます。ナレーションで「主人公はこのような答えをだした」じゃあ「(その主人公を写している)我々日本人は?」と問いかけてこの作品は終わります。つまり被写体となっている在日、写している我々の関係性を提示して終わる。最後にそう来るか!なるほど伏線効いてる!と思いました。あとちすんさんという在日3世の女優がかわいかった。舞台や映画に活躍中だとか。
 そうだ、作品の中で、この人と父親が結婚について議論する場面があるんやけど、前述の日記に近い議論をしていてどこの親も本当に似ているなーとも思いました。

2010年2月11日木曜日

いろいろ

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」といったのはマリーアントワネットです。
「民衆は自由じゃなくてパンを求めるものだろ」といったのはムッソリーニです。
「スープカレーには、ご飯よりパンをつけながら食べろ」と思っているのは徳日です。

スープカレー作ったんすよ。

 お洒落なカフェに出てくるようなもんにしたかったのです。まぁ味は合格なのですが、市販のルーをつかったので、どうもスパイシーにならない。あとなすびは一回素上げすればよかったですね。

話は変わって。
 
 妹が父と口論してました。なんでも妹は結婚したいらしいのだが、父が祝福してくれないとのこと。

父「よく考えてからするんだぞ」 
妹「もうよく考えた」
父「お前はなんにもわかっていない」
妹「そりゃそうや、始まってないのになんにもわからんよ。なんかがわかって結婚なんて出来る?」
父「・・・」
妹「おとんかって、最初は何にもわからんと結婚したやろ」
父「時代が違う」
妹「全然意味分からん」

こりゃ親父不利だと思い、助け舟

僕「いや、嫁にいってもらいたくないだけやねんて」
妹「だったら回りくどいこと言わずにそう言いや」

 いや、うんまぁそうなんだけど、恥ずかしいんじゃない娘にそんなこと言うの。と思ったのだが、ほぼ妹の言う通りなので黙っていると、「もお寝る、平行線や」などと言い親父は寝ました。

 妹は口が立つ。その後、妹から彼氏との絆を示すエピソードを聞かされ、こんな感じなら二人は当面大丈夫なんじゃないかと兄は思いました。

よしまた話変えよ。

マイケルジャクソン死ぬ前まで、化けもん扱いやったやんけ!!!

2010年2月8日月曜日

ビーチボーイズとペイヴメント

 ビーチボーイズとペイヴメント。

 アメリカ西海岸の甘い甘いそして悪い悪い音楽。
 
 友人から勧められたペイヴメント。レディオヘッドやベックよりも前にこのバンドがいたのか。

surfer girl

Transport Is Arranged

2010年2月6日土曜日

私は猫ストーカー

私は猫ストーカー 見ました。特典映像も。

 和み系なんやけど、不思議な感じがある映画でした。オールロケ特有のごちゃごちゃ感がありました。ヘッドフォンで音を聞いてたんやけど、あえて様々な外野の音を取り入れてました。音を極端に制限するドキュメンタリーもあれば、不必要な外野の音をあえて入れる劇映画もある。音一つとっても映画はいろいろです。カメラマンさんのフレームワークは迷いがない感じがしますね。微妙で不思議なニュアンスを伝える映画なんだけど、フレームに迷いがないから、思弁的な感じが少ないのかね。カメラマンはたむらまさきさんという人で、いまや日本映画を支える巨匠です。精華にもアッセンブリーできたね。行きたかった。

特典も良かった。監督いい人そやった。

猫も星野真里もすんごいかわいかった。でも私は犬派です。

2010年2月4日木曜日

under a (wild) duck

 いきなりですがバスタオル効果ないと思う。

 母にはよく言っておきます。加湿器業界の皆様、今後とも勉強させていただきます。そうだ、この勉強させていただきますという言い方。最近聞かへん。「社長、今日はこのあたり(金額を提示して)で勉強させていただきます」とかミナミの帝王とかでこういう使い方で言ってたのに。なんで勉強やねん、と子供心に思ってました。

 話題は変わりまして。うちの近所のパン屋がうまい。320円のフィッシュドッグがもう、一口食べるたびに「うまい」また一口「うまい」、一口食べるごとにうまいといってしまうので、なかなか全部食べれない。ほんとにうまい。コンビニサンドに+50円でここまでのクオリティー。
 で、この前ブルータスのパン特集を立ち読みしてたら、小さい店やけどしっかり特集されてました。だろ!うまいだろ!と誇らしげな気分になる。地元大好きなんやけど、やはり現在住んでいる下鴨をもっと味わいつくさなければ。住めば都。下鴨王朝。下鴨幕府。愛着は執着を生むが、そんなもんは生まれてから考えよう。

銭湯(徒歩1分)帰りに見上げた下鴨の夜空には星が広がっていたとさ。

2010年2月2日火曜日

加湿器 or バスタオル

 とある日実家で、加湿器欲しいなーなどというと、うちの母が「あんたくらいのワンルームやったら、バスタオル水に濡らしておいたら、加湿器変わりになるわ」と言われる。

 それを思い出し、今バスタオルを濡らした。ほんとに加湿器代わりになるのか。いやいやいや、だってそれでほんとに加湿器がわりになったら、誰も加湿器買わないじゃないっすか!!!いくら更年期真っ盛りやからってむちゃいうたらあかんで、母よ。いや、うちの母がそんなこというはずない。そうか、バスタオル濡らせば加湿器代わりになるって情報をみんな知らないのだな。よし、なら、ここで俺が知らせよう。王様の耳はロバの耳と言った少年と同じ気分だ。これにより、電化製品業界に大打撃だ。バスタオル業界大流行り。

バスタオル濡らせば、加湿器代わり!
バスタオル濡らせば、加湿器代わり!

これを言ったので加湿器業界からの刺客に消されるかもしれません。

2010年1月31日日曜日

立命でドキュメンタリー2

さあさあドキュメンタリーな日々。

 にしても立命のシアターはすんごい良い。音が凄い良い。あれは最新のサウンドシステムなんだろうな。

さてさて結局2つ見ました。

家族写真

 イギリス人と日本人の国際結婚についての映画です。しかもこの夫婦がこの映画の作者です。良い映画です。良い映画としかいいようがない。アホみたいな感想だけど。イギリス人の奥さん兼この映画の制作者が、この映画を通して、日本を知り、夫の家族を知り、なんつうかここで生きてくのだ!という覚悟が、とーっても上品に、でもすごく力強く描かれている。映画を通して、自分がこの家族の中で生きることを覚悟し、また覚悟してもらう。自分の人生を見据えながら、アートスクール出身の作者が作家としての矜持を失う事なく制作した、私的ドキュメンタリーの優れた作品。

イラン離婚狂想曲

 イランは女性から離婚するのことが、女性の権利があまり認められていないので大変な国。で、そんな中、なんとか離婚を勝ち取ろうとする女性たちが主人公。こういう映画だとフェミニズム運動のような文脈で見られがちなんやけど、それがこの映画は、そんなこと通りこし、主人公たちの欲望が、のっぴきならん俗っぽい感情が、とぐろを巻いていた。
 絶対に絶対に絶対に絶対に納得できない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
おもしろいのは、この映画は女たちが理不尽だということをむしろ隠さない。先進国での倫理観とイランの倫理観という座標軸ではない。どんなに理不尽だろうがみっともなかろうが納得できないというどうしようもない感情、それを持っているがゆえに戦う女たちを映画は写す。この感情の前にはいくら男が正論や権力を振りかざそうと分が悪い。これTVで放映したら視聴率すごいと思う。女たちの俗っぽいパワーが突き抜けすぎていて、気合いをもらいました(敵に回すと恐ろしすぎる)

 あと、イランの裁判所の判事は、ほんとに賢者のように見えた。叙情酌量と法への遵守を上手にバランスをとり、無表情をつらぬき、声のトーンをかならず調節してしゃべる。そして自分の孫にはだけ破顔。この判事のかっこよさも印象的。

2010年1月30日土曜日

立命でドキュメンタリー

ドキュメンタリー映画みまくった。

ルート1ほど触手が働かなかったんで軽く覚え書き。

まずアンダーグラウンドオーケストラ

 これは楽しめた。ただフランスにおける「移民」を描いて、作品に「はく」をだそうとしているような気がしなくもない。もっと軽やかでいいじゃないですか。音楽なんだし。いや、そこの軽さがちゃんと映画にあった分、「移民」の重さに対する執着が少し気になった。それはわかるんだけどさ・・・。フランスの風景が、たぶん車からの移動撮影で写されていて、単純な横移動なんだけど、良かった。固定で風景を写すより、移動撮影で風景写すって良いよね。

次、リハーサル

難解すぎて、僕には理解不能。この作者は何をしたいんだ??まぁ僕がアホなだけだとおもうけど。久々にもうあかん、この映画は手に負えんと思いました。ただ見た人といろいろ話がしてみたい。単純に何がどうなったの?って聞きたい。すごい映画だとは思う。

次、革命の歌。

 ドキュメンタリーミュージカルという新ジャンル。しかしこれは僕は嫌い。社会主義の歌を楽しく、懐かしく歌って終わりじゃ駄目でしょ!懐古趣味じゃないですか。ただ現在の北朝鮮のようなマスゲームが、今やお洒落の代名詞的な北欧でも行われていたなんだなーとびっくり。この新ジャンルはもっと楽しくできそう。

 全体に字幕が画面下部ではなく、画面右に縦書きで出て読みにくかった。どうも頭がせわしなくなる。音楽を真っ正面であつかった作品2作では好みが完全にわかれた。折角音楽を扱うのだから、音楽が画面に溶けこみ、与えられた意味などを離れて、超えて、心に響いて欲しいのです。

明日は1作品だけ見に行く。楽しみだ!

4回生

4回生と飲みにいく。そうかもう彼ら彼女はいなくなるのか。寂しいもんだ。

 でもまぁ彼らの新しい人生が実り豊で、春には桜をみて良いもんだと思い、夏には花火なんかしちゃったりして大はしゃぎし、秋には切なくなってかなしくなり、冬には鍋をつついて舌鼓をうつ、そういうゆるやかな幸せのようなもんがたくさん訪れることを願っています。

 ときどき遊びましょ。

2010年1月29日金曜日

夢見ました

 ナイナイのオールナイト日本はもう中学生からファンですが、おもしろいよね。最高の下ネタ。悪い人の夢。ふと聞きましたが、やはりおもしろい。

夢見ました!

どのくらいの支持があるのかわかりませんが笑 

2010年1月28日木曜日

マイノリティーレポート

 ひさびさにこんな時間までおきています。

 先日、250円で買ったマイノリティーレポート見る。2回目。おもしろい。どういう行程を経てあれが出来上がるのか。全行程つぶさにみたい。スピルバーグはどの行程担当してるんだ。誰にどういう指示をすれば、こんなにもおもしろい作品が出来るんだ。信じられない。日本のアニメの影響もやっぱりありそうだ。

2010年1月26日火曜日

ドキュメンタリー

ドキュメンタリーは続く。


祝20周年!山形国際ドキュメンタリー映画祭 ドキュメンタリー映画の現在

好き者はどうぞ。へっへっへ。あんたも好きね。

2010年1月25日月曜日

ルート1

忘れないうちに感じたことを書き連ねる。

 先日土曜日 ロバートクレイマー監督 『ルート1』(1989年製作)という4時間超えるドキュメンタリー映画見てきた。撮影内容は至極簡単。

 撮影クルーがアメリカを南北に縦断するルート1を車でドライブし、時折止まり様々なところに押し掛け、カメラを回す。以上。これを4時間ずっと繰り返す。

構成的な特徴を以下覚えてる範囲で書き連ねる。

・フィクションかドキュメンタリーかわからない。

・様々な社会問題を扱っている、現場にカメラを向けている。

・音声に尋常じゃなくこだわっている

・役者がいる。クレジットには1名と明記されていたが、絶対に違うと思う。

・ストーリー(のようなもの)に全くつじつまが合っていない。

・風景カットの数が信じられないくらい多い(ギネス認定すべき)。

・音楽がかっこよく、音楽を入れる工夫が凄い。

 今日に至るまで様々かんがえたんやけど、まずこの映画の音について、もう少しだけ掘り下げたい。この映画の音声は様々に工夫がされている。まず、ドキュメンタリーにありがちな、「色々な音」が聞こえない。画面の音の情報量がものすごく餞別し整理されている。そしてその餞別された音にさらに工夫をこらし、リバーブやエコーなど様々な効果音をかけている。ドキュメンタリーという、幸か不幸か現実を写すといったことを至上命題に掲げられた映像に、音声側からの決別を計っている。BGMだってそう。異化効果といった分かりやすい映画文法からなるべく距離をとるような使い方だ。一番驚いたのは、ダンスのシーンで、そこの踊り場のステレオから流れているダンスナンバーでなく、(たぶん)違う曲をBGMとして流す場面。BGMとは書いたものの、この曲はステレオから流れてるの?それともBGM?判然としない。今でもわからない。

 異常な数の風景ショットについても少し。映画というのは逆に映像を餞別するものだと思う。何を写すかが大事。でもこの映画は違う。全部写す。何をではなくすべて。すべて写しきる。この監督はすべての風景は残らず映画になると思っている気がする。餞別された特別な風景だけが映画になるのではなく、すべての風景が映画になる。批判的にいうのではない(むしろすべての風景が映画になるなんて素敵だと思う)が、若い頃左翼思想のど真ん中居たらしいので、ありそうなものだ。まぁ監督の思想はさだかではないが、この異常な風景ショットの数はドキュメンタリーの映画文法を破壊するのに十分である。あ、語弊なきように言いますが、それでも選ばれてはいるんですよ。全素材使用しているという意味ではない。そいうではなく、普通なら場面転換などの素材としての機能する「風景」ショットが、その膨大な数により、単なる「素材」以上の価値が出ていると言うこと。

 ただ破壊のための破壊ではない気がする。そんな殺伐としたものではなく、もっと甘い陶酔するような映像感覚があった。4時間を超える映像の長さもその感覚を助長させたかもしれない。細切れされた映像から立ち上ってくるのは、記憶の中の風景で、その中で繰り広げられている様々な諸問題は、なんとなく夢の中で起こっているかのようだった。黒人差別も貧困問題もベトナム戦争の傷あとも、まるで蜃気楼のようにとらえどころがない。映像の中で諸問題をつかもうとすると場面が風景に変わる。そして風景が連射で続いて網膜に焼き付き、社会問題はたちまち消えて、またいつのまにか次の場所で次の問題が立ち上がる。これは乙女チックな刹那的な甘美な感覚というより、男の子が好きそうな永遠を感じさせるロマンティックな陶酔感覚のような気がする。そこに放り込まれた、諸問題の主人公達は幸せなのか不幸せなのか。不幸せであるならその尺度はどの程度なのか。全くわからない。夢の住人の感情がわからないように、彼らには一切意味を付与できなかった。そこがきっとこの作品のドキュメンタリー映画に対する最大の批評性だと思う。

しんどかったし軽く寝たが(胸を張っていいます)、このタイミングで見て良かった。いろいろ考えれた。

で、昨日は30分のNNNドキュメントを見たのだが、これはすべての映像が音が素材としてしか機能してなく、ドキュメンタリーの振り子の両極を見た気がした。まぁそれは全くわるいことではないんやけど、にしてもNNNドキュメントは絶対に45分から1時間にすべき!なぜか・・・

いや、もうしんどい。番組のファンならではなの想いがあるのだが。また今度書こう。

寝ます。

2010年1月21日木曜日

スパルタローカルズ2

フランツフェルディナンドが売れて、バンパイアウィークエンドが売れてるのに、スパルタの過小評価。

 これ(再生数すげぇ)

 もいいけど

 これ

 もいいけど

 これでしょ。

 踊ろうぜー♪

バスケ4

 筋肉痛もひと段落し、体が軽い感じがする。感じがするだけでしょうかね。筋肉が生まれ変わった感じ。このままの感じを維持したまま次の試合に望みたい。でもな筋トレとか続かないんですよ。どうしたら続くのだろう。ビールのんで、一人でスモークチーズ一袋あけちゃうし、スモーク旨すぎる。駄目だ。こんなことでは体力がつかない!

 スパルタローカルズというかっこいいロックバンド聞いてます。もう解散してしまいましたが、僕の仲の良い友人達はもれなく好きなバンドです。本当に本当に本当にかっこいい。女の人にも是非聞いて欲しい。これみた瞬間、近所のツタヤに走ってDREAMERってアルバムを借りて下さい。早い曲で高揚し、バラッドでもれなく泣きそうになる。曲の合間に変な声だしまくるのもかっこいい。「はっ」とか「ぽっ」とか言うんです。

 明日告白するとか、明日仕事辞めるとか、明日上司殴るとか、明日面接とか、明日恋人騙すとか、生命力が欲しいときに味方になってくれます!! 

2010年1月18日月曜日

バスケ3

体中が痛い。本当に痛い。階段降りるごとに体中が痛い!体力が欲しいですよ切実に!マラソンか、やっぱり。寒いなー。嫌だなー。でもホノルルマラソンとか出てみたい。無理かな。無理だろうな。

 フジファブリック最新作『クロニクル』聞いてます。ボーカルの志村さんが亡くなったとか、そういうトピックは抜きにして、素敵なアルバムだと思います。シンプルで疾走感に溢れたポジティブなアルバム。重たいリズムではなくかっとばす感じ。あとチャットモンチーで『バスロマンス』って曲をYouTubeで聞きました。シンプルなコーラスがいい。

チャットモンチー
ロックバンドのコーラスが好き。
その1
その2
コーラスでとろけてしまい、桃源郷にひたってください。仕事も学校も友達の約束も試験勉強も親の介護も上司との飲み会も全部すっとばしてしまおう。

2010年1月16日土曜日

バスケ2

 奇跡の3Pをしました。エロいほうじゃないよ。バスケの話だよ!!終了間際のあれです。漫画でよくみるやつです!!人生初ですよ!!

 そう「ブザービーター」です。中学3年間バスケやってた人間からしたら、これが出来てすごく嬉しかった。しかも同点弾!

 にしてもバスケでいろいろ考えましたよ。まずは体力。僕には体力がなさ過ぎる。運動は基本体力です。集中するにも、なんにするにもまずは体力。技術があってもそれを発動させる体力がないと技術も無いに等しい。次にチーム力。これはバスケ部のキャプテンとも話をしたんやけど、素人の集まりと10分試合するのと、玄人の集まりでは、素人の試合の方が疲れる。それは共通言語が少ないから。だからチームとしてのルールや共通言語を作ると、体力が減りにくい。体力が減りにくいということは、集中も持続する。後半ほんの少し出来つつあって楽しかった。これがチームで出来だすとめちゃ楽しい。チーム練習は大事。

 あと運動すると、直後の水分補給がうまい、後の飯がうまい。銭湯が気持ちいい。すぐ寝れる(これは予定だけど、確実)。ただ筋肉痛がすごい。

 にしてもバスケしまくった。おもちゃ離したくない子供のようにしまくった。体力の底までいった。またやるぞー!!

バスケ

 今日はバスケットボールします。楽しみ楽しみ。

 そうそう、昨日『プラダを着た悪魔』見ました。アンハサウェイやばいっすね。エロいとしか言いようない、特にモードファッション着出してから!物語なんか頭に入らん。いや、物語に集中しようとするとハサウィエの全身ショットがくるから、そこでもうメロメロになってしまう。
もちろんメリルストロープもかっこ良かったですね。楽しかったのでDVD買おう。

 

2010年1月13日水曜日

続きです

 告白の続き。簡単に。

 きっと前述の日記の、複雑な思いが自分を守るのですよ。もうそういう内なるツッコミをする自分なんて大事にすんなよと思う。現在表出している自分に最大限に期待しろよと思うのですよ。のぶたと似てて、希望ないんだけど、「胸をはって歩けよ 前をみて歩けよ 希望のひかりなんてなくったっていいじゃないか」とチャットモンチーも歌っています。

ちなみに、歌詞の続きは、「シャングリラ しあわせだって叫んでくれよ 時には僕の胸で泣いてくれよ」です。良い。

のぶたを読んでこういう感じのことを考えた次第。

話題はかわり、

今冬、二度目の手袋行方不明。明日から手袋なくことを得意分野の欄に書きます。

2010年1月11日月曜日

今日は暇なので「告白」

 「告白」をテーマに映像撮りたいと考えてました。以下備忘録のようなもの。

 のぶたをプロデュースを読んで、在日コリアンの告白について考えました。

 のぶたをプロデュースの物語の構造は簡単に図式化できます。

 人前で本心を出さずに、周囲にいいかっこしてる「自分」。
→その「自分」につっこみを入れて、かっこつけてる「自分」をなじる一人称の語り。
→上記のようなパターンをうながすための様々なプロット。

 こういう物語なら山場は、なんとなく想像できますよね。本当の自分の告白です。一人称の語りの部分の心情を現実に吐露し、他者からの承認をへてハッピーエンドか、非承認で悲劇で終わるのか、ここまでの舞台設定を用意すれば、そのどちらかが山場のわかりよい形というものでしょう。でもこの小説そんなわかりよい形で終わりません。この小説はクライマックスで上記の図式そのものが変化します。
 人前で本心を出さずに、いいかっこしてる「自分」を、「自分」をなじっていたはずの一人称の語りが承認するのです。いや、承認どころではなく、「自分」を一人称の語りよりも遥か価値のあるものだと認識するのです。僕は読んでてびっくりしました。もう本心(語り)なんてどうでもいいのか、本心を他人に認めてもらわなくていいのか。ちょっとクサい言い方ですが、希望がないけど、そこに希望がある小説だと思いました。

 で、どう在日コリアンの告白にむすびつけたいかっていうと、日本名で過ごしているコリアンの多くは、(恐らく)通名で過ごしていることに内なる突っ込みを与えます。それは、「いやー俺本当はコリアンなんだよー」というものです。例えば女のことキスをするときも、友人とサッカーを見る時も、このうちなるツッコミが聞こえてきます。でそれを解消すべく、意を決し「いや、俺さー」と告白するのが、まぁよくあるパターンです。ここでよくあるパターンと簡単に書きますが、それなりに切実な場合も多いのです。
 ただ、僕はなんかこの告白に複雑な思いを抱えていました・・・と今日はここまで。

まだ書きたい事は続く。

あ、新成人の皆様、おめでとう。

2010年1月10日日曜日

死亡説

 昨日徳日死亡説が一部友人たちの間で流れました。で、友人達は家族にも連絡してくれて、結構本格的な徳日死亡説になりました。僕は友人達が家族に連絡をしてくれているとき、焼き肉を食べていました。まだツタヤで借りた奥田民夫もyesも返してません。見たかったアニメ空中ブランコもまだ見ていません。

 死ぬ訳にはいきません。

 原因は予定を勘違いしていたことと、出かけに携帯を忘れたことです。この2つが重なると現代では死亡説が流れます。

 にしても心配をおかけした友人達家族の皆様すいません!!!!!!!

2010年1月7日木曜日

26歳

今日26歳になりました。

誕生日です。

うまいコーヒーの誕生日プレゼントなんかくれる人がいたら嬉しいですね。いや、今飲みたいんだけですが。

なんにせよ、みなさんどうぞひとつよろしくお願いします!
サザエさんにおける三河屋さん的なお付き合いをしていきましょう!

2010年1月4日月曜日

論語

あけおめ、ことよろ。辻ちゃんの旦那きもい。2回目。

 今年の目標はゆらゆら帝国とハンバートハンバートのライブに行くことと、論語を読むことです。というかね、今年などもう終わったようなもんです。僕は来年の目標をすでに決めています。

 持続可能な社会とかスローとかエコとかmixiとか、語る前に、つぶやく前に論語をよむべきだと思っています。そのような言葉は出てきてたかだかうん十年。論語は2000年ですよ。

 ゼロ年代は、哲学的な思弁を無視するようなやからに、名もなき哲学者たちは自らを奉仕しすぎましたね。馬鹿にするぐらいでいいのに。しかし一口に馬鹿にするといってもいろいろなやり方がある。我が妹は、自らの悪口を、「いや、これは悪口じゃなくて、思ったこと」と言っていた。身もふたもないが、こういう機転でどんどん責めに出て欲しい。

 余談ですが、妹の幼なじみが芸能界で立身しようと頑張ってます。応援してください。今月号のJJの読者モデルグランプリで優勝した子です。マリーアントワネット的な感じと浪花節だよ人生は的な感じが混じりあっていて、ひょっとするかも。先物買いで、JJ購入してはいかがでしょうか。

 その子のみならず、気になる友人、知人がいます。まぁ今年はぼちぼち会いにいったりしたい。アメリカのmasuda!これ見たら連絡してこい。

2010年1月2日土曜日

あけおめことよろ

宇都宮まきかわいい!!

辻ちゃんの旦那きもい!!