2010年7月9日金曜日

幻ノ進化論

http://www.kac.or.jp/bi/364

羽が生えていないのに、僕はなっとくしていない。

 メディアリテラシーって言葉がすごく流行ったけど、リテラシーってつまり、花の美しさを「読み解く」ってことじゃないですか。それを突き詰めると、「花が美しい」って認識よりも、「花の美しさを読み解く」って認識の方を先立せることになるのでは。そんなもんになってしまったら、「花の美しさ」を読み取ったことにならいでしょう。いや、本人はそう思ってるんやけど、「花が美しい」という深度が変わってくる。花の美しさを媒介にして、花の美しさを読み取った自分を強く感じてしまうから、「花の美しさ」には届かない。

 自分が摩耗する。「自分」を「自分」が認識しているだけやもん。何かに向かって放出されていない、ループしているだけ。でも本当に花を美しいと思っている人と、上記のような経路で花を美しいと思っている人も、言葉としては「花が美しい」だけやから、他人からみたら明確な差がでんわけです。でも絶対本人の充足感は違う。これは自分でも当てはまるし、どちらかというとそういう回路に巻き込まれやすい性格だと自覚しています。

だからせめて、時々羽をはやして、僕は僕自身の幻の進化を想像します。自分の認識の先にあるものに到達するために必要なのは、「脳」ではなく「羽」であると想像します。

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