2010年1月11日月曜日

今日は暇なので「告白」

 「告白」をテーマに映像撮りたいと考えてました。以下備忘録のようなもの。

 のぶたをプロデュースを読んで、在日コリアンの告白について考えました。

 のぶたをプロデュースの物語の構造は簡単に図式化できます。

 人前で本心を出さずに、周囲にいいかっこしてる「自分」。
→その「自分」につっこみを入れて、かっこつけてる「自分」をなじる一人称の語り。
→上記のようなパターンをうながすための様々なプロット。

 こういう物語なら山場は、なんとなく想像できますよね。本当の自分の告白です。一人称の語りの部分の心情を現実に吐露し、他者からの承認をへてハッピーエンドか、非承認で悲劇で終わるのか、ここまでの舞台設定を用意すれば、そのどちらかが山場のわかりよい形というものでしょう。でもこの小説そんなわかりよい形で終わりません。この小説はクライマックスで上記の図式そのものが変化します。
 人前で本心を出さずに、いいかっこしてる「自分」を、「自分」をなじっていたはずの一人称の語りが承認するのです。いや、承認どころではなく、「自分」を一人称の語りよりも遥か価値のあるものだと認識するのです。僕は読んでてびっくりしました。もう本心(語り)なんてどうでもいいのか、本心を他人に認めてもらわなくていいのか。ちょっとクサい言い方ですが、希望がないけど、そこに希望がある小説だと思いました。

 で、どう在日コリアンの告白にむすびつけたいかっていうと、日本名で過ごしているコリアンの多くは、(恐らく)通名で過ごしていることに内なる突っ込みを与えます。それは、「いやー俺本当はコリアンなんだよー」というものです。例えば女のことキスをするときも、友人とサッカーを見る時も、このうちなるツッコミが聞こえてきます。でそれを解消すべく、意を決し「いや、俺さー」と告白するのが、まぁよくあるパターンです。ここでよくあるパターンと簡単に書きますが、それなりに切実な場合も多いのです。
 ただ、僕はなんかこの告白に複雑な思いを抱えていました・・・と今日はここまで。

まだ書きたい事は続く。

あ、新成人の皆様、おめでとう。

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