2010年6月6日日曜日

不良と映画

えー久々に映画の感想を書きます。

興奮したんです。最近デザインの本ばっかよんでて、デザイン脳になってました。デザインは包括的なんです。器がすごく広い。映画はなんて社会のことを考えてないんだ!と思ってました。馬鹿だ、映画は人間でいうと偏差値が低いやつだと思ってました。つまり不良だ。

というわけで最近映画全然みてなかったんやけど、ちょっと見たい映画がレンタルされはじめたので立て続けに見ました。

まず「ヴィヨンの妻」監督 根岸吉太郎

 太宰治原作です。日本映画として上質で、見心地がとても滑らかで気持ち良かった。こういう映画を作れる人が職人と呼ばれるのだろうなと思いました。そう思ったのにはいくつか原因が。俳優の行動を写すカメラにカメラ独自の意図があったこと。シナリオの起伏に流されることなく、カメラが全体の物語を考えて、引くときは引き、寄り添うとこは寄り添うといったカメラワークをしていたように思える。カメラがすんごい上品やった。あと松たか子。めちゃ巧い。俳優がどういう計算のもと演技をするのかよくわからんけど、丁度いいと僕は感じた。そういう演技ってあんまりない。全体として、上品な映画世界に贅沢に浸れるなーという気分になった。

 というかこの映画の上品な見心地をより正確にひも解くには、もっと古典の日本映画を見ないとあかんね。市川崑あたりの文芸作品を。

今回の作品なんとTV局がスポンサーなんですよ。それなのに、古典を見てるような気分が味わえた。TV屋さんと映画屋さんが仲良くしている感じ。こういう仕事のワークフローって財産やと思います。

次、韓国映画『母なる証明』監督 ポンジュノ

しんどいので今度書きます。この作品すごかった。不良は人間的に時として魅力的です。

以下は映画のシナリオを作る授業。脚本は緻密な設計図。そうか映画は不良やけど頭は悪くないかもしれない。是非読んでみてください。
http://ws09shinarioeiga.blog35.fc2.com/

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