2010年8月17日火曜日

書きまくり

 久々ブログ書きまくり。 

 映画 さんかく 吉田恵輔

 傑作。前半日本版ロリータで、ロリロリでエロエロで、後半はそれがこうじて痛くて痛くてたまらない。偉そうなこというけど、純喫茶磯部は吉田監督のTV的(テレ東的)な演出が映画という中で少し中途半端やと思ったけど、今回は、ああ、もう最高最高最高と思いました。古典的映画なんてぶっ飛ばして欲しい。そんなことより伝えることが大切。ラストシーンの言葉のない視線繋ぎは21世紀の邦画の可能性だと断言します。かっこいいです。すべての顔が神々しい。

 映画 インセプション クリストファーノーラン

 傑作。監督は物語を語ることに罪悪感がある人。つまり芸術家ですね。物語を語ることを物語にする映画。マトリックスとかジャパニメーションとかと同じ系譜というか。物語「これから、どうなんねん」と思うと同時に「どうなるか本当は知ってる」物語でした。どこかで語られたことのあるであろう物語(でも見たこと無い気もする物語)が、鮮やかに実写になっていることそれ自体に、とてもポジティブな快感を感じました。それは物語を消費しつくしたからこそ味わえる快楽ですね。僕はもう中盤から後半はにやにやしっぱなしやった。ダークナイトよりメメントより僕はこっちが好き。「物語よりも、現実」というテーマで「物語」を作らなければいけない矛盾を、時間をかけて丁寧に、何より面白い「物語」で語っていることが、とてもとても良いことのように感じました。脱線しますが、メディアリテラシーなんていう言葉は、この映画の主人公のような心情がないならただの遊びやん。

 日韓日本の、これから NHK

 言いたいことはわかったし楽しくもあった。けどけど、どうしても話をしている内容が日韓の若者にとって大切なことのようには思えない。大切なことってそんな簡単に人に話せることか?明日の晩飯は?セックスしたいとかいう欲望は?課長殴りたいとかっていう悩みは?もうそういうのはいいの?そういうのは素朴な日常の拘泥が、戦時下はそのまま歴史になったと思う。だから今の自分の些細な感覚や、五感を研ぎすますことで、僕は少しでも歴史に近づけたらいいと思う。このTVを見て、どっちでもいいと思ったことがたくさんある。妹様も見てたけど、僕の尊敬する妹様も「どっちでもいい」とおっしゃってました。

 余談①
 フジファブリック MUSIC
最高やった。

 余談② 友人との電話
 触発されることが多かった。どうでもいいことも、どっちでもいいことは考えなくて良い。考えたいことには一生懸命になる。勇気はすぐに怠けて、ぶくぶく太っていく。そんでそんな脂肪のついた勇気なんて、もはや勇気とはいえずグロテスクなもんになるんじゃないか。でもそれと気づかずにそんなグロテスクなもんを勇気やと思っているなんてアホじゃないか、そんなことを電話の話で思った。

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