2010年10月31日日曜日

柴崎友香3

 狂ったように、こつこつ積み重ねる行動の描写は、その瞬間を記録するためなんだと思う。もちろん本当はその瞬間を記録出来ているわけではない。ペンを走らせた時点で、行動よりも遥か彼方の時間の中で思考しているのだから。「また会う日まで」の主人公はカメラが好きだ。しかし、瞬間を記録できると思われがちなカメラでさえ、瞬間の記録をすることはできない。

「あ、今だ、と思ったその瞬間っているのはほんとうにその一瞬しかなくて、カメラを用意している間にもうどこかへ行ってしまう。だから、似たような、それとも全く別の瞬間をまってカメラを構え続けるしかない」

 この引用文のような想いは、作者の描写に対する信念そのものではないだろうか。あ、今だ、と思った瞬間が逃げていくからこそ、捕まえようとする。この瞬間を捕まえようとする行為。それはすなわち、リアリズムだ。ある世界の情報を自分の作為により編集することを至上命題に掲げた創作ではない。世界の情報を捕まえた瞬間を記述しようと苦心している、リアリズムの文学だ。優れたドキュメンタリーは、人の生活の息づかいのようなものが聞こえてくるが、それとて、作者の編集が施された、生活のレプリカである。でも自分が世界の情報を捕まえた瞬間を正確に記述しようとしているから、生活のレプリカがリアリズムになる。

 柴崎友香作品にもそのような感じがする。

 

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