2011年3月1日火曜日

書くのか書かないのか

友人にお前の書いてることようわからんと言われましたが、でもたまにわかるとも言われたので書きます。

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…でも俯瞰の視座にたつことも時には聞くことの快楽を引き出すために重要だから、言い切ることが難しいねんけど(と、ここで早くも論拠が弱気になる。でも素直にそう思うので書く)。

 と前回のブログでは、例えば画家が画家の目をもって絵画を見ることが出来るように、音楽家は音楽家の耳をもって音楽を聞くことが出来る。それは常人の視聴体験とは確実にことなっていて、細かく聞ける。細かさに感動できる。ギターのフレーズがどうのこうのとか、シンセの音がどうのこうのとか、弦楽の和音がとか。それは確かに楽しい。楽しいけど、行き過ぎるとうんちく語りそれ自身が目的になってしまう危険性があるということを言いたかった。

 では、愛情をもってフレーズを語っているのと、ただ口がすべってるだけの音楽論。それをじゃあどこで判断すんねんと。まぁ普通考えて、それは読み手だ。読み手がすべてを決めればええんやということになる。まぁそうやろうと思う。すると書き手はただただ書くことをすればいい。自分のテンションの赴くままに、愛があろうとなかろうと。ということになる

 でもそうなると、自分でジャッジせんでいいから、やっぱり安易な共有感覚が増えませんか。そうすると、惚れたおすような音楽体験が少なくなり、以下前回のブログみたいになるかもしれない。パンクのような音楽的なムーブメントなんてもう金輪際起きないかもですね。

 おい、じゃあつまり聞き手の感動はどう表現すればええねん。抑圧すんのか、お前はネクラか。いや、それは読者が決めるからかけばいいんですよ、何でも。でもそうなると…以下同文。

あなたは書きますか?書きませんか?

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