2009年5月25日月曜日

小林秀雄ファンクラブ

 ながいです。

 実家から小林秀雄を持ち込み。読んでます。

 小林秀雄は苛烈な人だ。なんか右翼的なニュアンスでとらえられることもあるそう。僕は一方でやさしい人でもあるとも思う。晩年の講演録とか聞いてると声でもなんとなくそういう人柄が伝わる。

 小林秀雄は、若いときとんでもない恋愛を経験します。三角関係です。しかも相手はかの中原中也。まぁ小林は結果的に中原から女性を奪うわけです。(奪うまでもいろいろある、一回ふられてみたり)。当然親友だった中原との縁はそれ以来疎遠になります。
 で、奪った女性と目出度く同棲をはじめるのですが、その女性は異常なほどの潔癖性で、小林はその女性に寄り添うあまり精神をやられます。そして殺されそうにもなります。耐えられなくなった小林は二年半の同棲の後その女性から逃げ(本当に夜行列車に飛び乗り)大阪へ。

 関係ないけど、いま向かいの一軒家にたずねてきたおじさんが、「下鴨は静かやの、全員しんどんちゃうか」と言ってた。

 後日小林がこの三角関係のことを言及している数少ない文章の中で、「今でも十分惚れてる、誰も(つまり自分も)好きになった女は嫌いになれない」といったようなことを書いています。小林はもともと自意識過剰なやつで、頭が良かったけど、この恋愛で「あああかん、なんかもう俺いろいろ考えてたけど、それがむちゃくちゃなった」と自己と現実の間で悩み苦しんだんですね。これが小林秀雄の目覚めです。ここから小林秀雄は「世界」を認識するのは合理的なもんだけでは無理やと思い、当時の日本のインテリたちの合理的な知恵で埋め尽くされた認識を疑います。これが日本における「批評」の始まりです。(詳しくは「超克の思想」)

 そこからはじめた小林が晩年ころに書いた「良心」というタイトルのエッセイの最後(今日このエッセイ読んだんです)

「私たちは皆ひそかにひとり悩むのだ。それも、悩むとは、自分を審くものは自分だという厄介な意識そのものだからだ。公然と悩むことの出来るものは偽善者だけだろう。良心のもつ一種の内的な感受性を、孟子は、「心の官」と呼んだ。これが生きるという根底の理由と結ばれているなら、これを悪と考える訳には行かないので、彼は「性善」の考えに達したのである。私には少しも古ぼけた考えだとは思えない。彼の思想を、当時、荀子の性悪説は破り得なかったが、今日の唯物論も、やはりこれを論破することは出来ない」(文庫「考えるヒント」より)

あーかっこいい。 

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