僕のアイデンティティーってのはそれなりに複雑で、この複雑さってのは人とのコミュニケーションに多大な影響を与えている。昔は、この影響力を感じなきゃいけないっていう状態自体に不条理を感じていた。でも少し大人になるとわかってくるんですね、ああなるほどこの複雑さがもたらすものってのはプラマイゼロやなと。
いや、そういうのが言いたいわけじゃない。つまりプラマイゼロだとわかったところで精神の不安定さなんて消えないのですよ。わかるだけじゃあ駄目なんだよね。ちゃんとそれを認められないと、認められ続けないと。そうしないと本来存在するはずのプラスの部分が見えなくなる。
他人を認め続けるのも、他人に認められ続けるのも、依存がもたらす快楽。これは怖い怖い欲望だと思う。でも依存を社会常識でぶった斬るのも切って血の出る人間のやることじゃない。
こう書いている瞬間にも感情はあっちこっちいっている。本当に自由になりたいと思う。快楽からも常識からも。そのためには自由になんかすらならなくてもいいと思うことが第一歩ちゃうかと思ってたりもする。
観念的だな、まぁこういう夜もあるし。ていうか普通のことしか言ってないな、まぁいいか。
こういうこと結構物語の中に入ってると思うけどね、なんとなく。
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