2009年11月7日土曜日

コミュニケーション

 少し長い。

 この前実家に帰ったとき、おばあちゃんが骨折しというので見舞い。うちのばあちゃんは快活な人でとにかく、体を動かさないとどうにかなっちゃう人なのです。それで、夜、老人ホームで徘徊していたときに、誤って階段から落ちて、骨折。

 まぁよくあるんですよ、痴ほうの老人には。で、見舞いにいくと、両足骨折してるのに、動きたくて仕様がないご様子。起き上がらせろとせがむので、「いや、それは無理なんだ」というと、いらいらしてもう言葉になりません。鬼気迫るくらいに、「起き上がりたい」という意思を示してきます。まぁこっちもだからといって起き上がらせるわけにはいかないので、なんの反応も示さないでいると、しまいには叩かれるしまつ。

 まぁ叩かれても、無理なもんは無理なので、へらへらして、「やめろよ〜」なんつってると、もう帰れとジェスチャーで示されました。ばあちゃんは自分の意思を通すのに、道徳とか常識とか医学はもはや関係ないのです。関係あるサイド(つまり僕)はその態度におろおろ。おろおろした僕は折角訪ねて行ったのに、ばあちゃんとうまくコミュニケーションできなかった。

 僕の場合は、おばあちゃんに限らず、うまくコミュニケーション出来ないときは、自分を上手に表現できなかったときですね。相手がどうのこうのじゃない。相手のアクションに関して、自分の心を如何にオープンにするか。出来ないと、出来ない事を後から反復してしまうのです。つまりくよくよしちゃう。素朴な人を見ると、「なんて素朴なリアクションなんだ!」と驚嘆することがあります。相手に折り合いなど付けずとも、素直に自分を出せるような人になりたいもんですな。

 don't think twise , it's all right.などとボブディランも言っています。

 島唄の歌い手マキオカナミさん聞いてます。島唄とバイオリンの相性がいいです。

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